昨日、9月11日は、かの9・11テロ事件の日である。これを契機に、当時のブッシュ大統領は、でっちあげの証拠をもとに、イラク戦争を仕掛けた。当時、ブッシュには折りよく小泉首相が登場し、ブッシュのとんでもない戦争を<支持>すると言明した。理解(容認)する、ではなく、支持、である。
← 秋を感じさせるのは、何も風や虫の音や高くなったと感じさせる空とかだけじゃなく、庭などに咲く植物の様変わりであったりする。南天の実が未だ青っぽいながらも生っている。この淡い紫色の実も、秋の到来を告げているよう。父をデイサービスに送り出す、その車の来るのを待っていて、庭に生っているのに気づいた。それにしても、我が家の庭に咲く花は、今の時期だけなのか、それとも偶然なのか、ほとんどみんな淡い紫か、紫色気味である。ヤブランにしてもナスの花にしても、「クレオメ(西洋風蝶草)」にしても、夏萩(今や秋萩?)にしても、紫露草にしても。例外は、ゴーヤとヘチマの花だけか。
当時の小泉首相の推し進めた構造改革の是非もだが、あの戦争を支持した日本の責任も徹底的に検証・反省しないでいいはずはない。
でも、選挙を通じても、全く、話題に上らなかった。
→ 秋の到来を感じさせるものをいろいろ挙げてみた。すると、上掲の花を撮っていた、我が背に不穏な気配を感じた。わたしを忘れないでよって。群生する紫露草の花の上に何か紅いものが。
都合の悪いことは忘れる。
それが日本人の<美徳>らしい。
でも、外交の問題であり、世界の中の日本なのだ。
自分たちは、あっさり忘れ去っても、愚劣な戦争を支持した事実は歴史の頁からは決して消えない。
← 赤トンボだ! つい先日、チラッと姿は見かけたけど、撮影は叶わなかった。それが今、目の前に居る。
橋本 毅彦【著】『描かれた技術 科学のかたち―サイエンス・イコノロジーの世界 』(東京大学出版会)を読了した。再読である。しかも、わずか半年余り前に読んだばかり。でも、面白い。科学者への憧れがあるからだろう。科学者というとんでもない奴らがいる。
とてもじゃないが、感想文を書く時間は取れないので、読了したとメモだけしておく。
次は、バシュラールの本だ。
→ そっと近付いてみる。逃げようとしない。我輩の接近に気がついていないのか。小生には、意外にも赤トンボを題材の記事(日記)がない。わずかに、「桑の実を小籠に摘んだはまぼろしか 」にてのみ、辛うじて言及している。
← こうなったら、思いっきり近付いてやると、ほとんど手も触れんばかりに接近。が、赤トンボは微動だにしない。デジカメをズームさせて撮影しているのではない。ホントに間近での撮影なのである。花の蜜を吸うのに夢中なのか。それとも、未だ若いので、人間への警戒心がまだ足りないのか。そういえば、未明のアルバイトで、真暗な中バイクを走らせていると、しばしば子猫たちの屯する姿を見かける。バイクが近付いてくるってのに、一向に身動きしない。おいおい、大丈夫か。野性を忘れてしまったのか。それとも、親猫に躾されていないのか。道路のど真ん中じゃ、危ないって。とうとう、我輩がバイクをカーブさせて子猫を避けるしかなかったっけ。そういえば、一昨日の蝶々 も、二週間ほど前に撮影したトンボ も、我輩に好きに撮らせていたっけ。
→ 今日のクレオメ。秋には枯れるかと思ったけど、とんでもなかった。ますます意気軒昂!
← ゴーヤ? ヘチマ? いえ、違います(ちなみに今日もゴーヤの実を4つ、親戚筋のものにあげた。電話を架けて、取りに来させた!)。今日も病院へ母の見舞いに行った。そのエントランス近くの庭の光景。我が家の庭は雑草が蔓延って困っている。忙しくて雑草を始末する時間が取れない。かといって、除草剤を使うのも、コンクリートで埋め尽くすのも、(経費は別にしても)抵抗感がある。で、いろんな家の庭を見て回って、そうだ、こういった地面を埋め尽くすような植物を何か植えよう! なんて思ってきている。何か支障はあるだろうか。
(09/09/11 作)






