騎龍観音の秘密:原田直次郎 | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 ひょんなことから原田直次郎(1863-1899)という画家のことを思い出させられた。
 内外問わず美術のことに疎い小生だが、原田直次郎という画家の名前くらいは知っている。
 が、あるブログ(「ドイツ音楽紀行 鴎外「原田直次郎」 」)で森鴎外との絡みでこの人物の名前を見て、改めて関心が呼び起された。


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→ 原田直次郎『靴屋の親爺』(1886 キャンバス/油彩 60.3×46.5 額寸87.8×74.0 ) (本作の詳細な情報は、「東京藝術大学大学美術館 収蔵品データベース 人物情報 - 原田直次郎 」にて)



 この記事は、以前にも読んでいるのだが、この数ヶ月、内外の絵画をブログで集中的に採り上げている中で、明治から昭和初期の浮世絵版画家を何人か採り上げてきたこともあり、今更ながら内外の狭間での先人の偉業・難行を見つめてみたく思ったのである。


 今回、記事を仕立てながら幾つかの作品を眺めて、特にオヤッと思ったのは、原田直次郎の風景画である。


 人物画の見事さは小生のようなものでも感じられるが、本ブログ頁の最後から二番目に掲げている原田直次郎の『風景』という作品に瞠目させられた。原田直次郎のこんな作品は知らなかった。
 油絵のようだが、何処かクロード・モネ風な、明るい外光派的な画風である。


 これが原田直次郎なの?


『靴屋の親爺』に代表される原田直次郎だけじゃない原田直次郎が居る!
 しかも、『騎龍観音』という摩訶不思議な作品を描いている。初めて見たとき、何じゃこりゃと思ったものだ。傑作ではないと思う。でも、悲愴なものを感じてしまう。


 一筋縄では行かない世界が彼にはある。
 今更ながら敢えて簡単にでも特集してみたくなったわけである。


 この『風景』は、1897年の制作のようだ。1899年に没するので、晩年というよりほとんど白鳥の歌的な作品なのかとも思える。
巴里の画などを余り善く云つて居られないやうであつた 」のに、病気のゆえに気が弱くなって宗旨替えをした?


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← 原田直次郎『老人』(1886頃 キャンバス/油彩 28.6×21.9 額寸59.5×52.8) (本作の詳細な情報は、「東京藝術大学大学美術館 収蔵品データベース 人物情報 - 原田直次郎 」にて) この絵を見た瞬間、中村彝『エロシェンコ氏の像』が脳裏にチラッと浮んだ。「中村彝(つね)アトリエ保存会中村彝について 」など参照。



 ちょっと唐突だが、大家の黒田清輝が原田直次郎の人間や画業の性格を評した一文から紹介する。


 黒田清輝が『原田先生記念帖』に寄せた一文:
黒田清輝関係文献目録 3-5 『◎(無題)』 原田直次郎氏記念会 原田先生記念帖


「先生の説を病中に御尋ねした時に聞いたことがある。それは画は画家が拵へると云ふのである。写生をしてそれを其侭画にするのは本当の画でない。写生は研究の為に見取図を作るのである。材料である。それ丈では何等の価値もないと云ふやうなお説であつたと思ふ」とあるが、特に下記のエピソードが興味深い:

 扨想を主にして、図と云ふものを自分で作り出すと云ふ考で居られた為に、病気になつても絶えず製作して居られた。腰が立たないで寝て居ながら、自分の体の上に画布を吊るして筆を執られた。是が若し想の人でなくて、我々のやうにちよつとした、見て感じの起つた物を画くのなら、こんな事は出来ない。是は先生が想に重きを措かれた一つの得であつたらうと思ふ。

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→ 原田直次郎『老人像』(1866(明治19)年頃 油彩・キャンバス 57.6x42.6cm) (画像は、「友の会だよりno.59 2002.3.27 」より) 「近づいてみると、わずかな種類の絵具だけを用いて心憎いほどに豊かな色彩が生みだされていることに驚かされるが、一方で、左手の親指つけ根の位置や左肘の位置関係に苦心の跡がうかがえる。だが、そんなかたちの不安定さを覆させるほど、油絵技法の伝統に限りなく近い、完成度の高い画面に仕上がっている」(田中義明・学芸員 「友の会だよりno.59 2002.3.27 」より転記)



 この黒田清輝の評を真に受けるかどうかは、原田直次郎の作品を見て、各人が自ら決めることだろう。
 特に、「印象派の明るい色彩 」を目に手に焼き付けてきた黒田清輝には、原田直次郎の塗り重ねを特徴とする古風な伝統に則った油絵は、泥臭く時代的古びたものに感じられたのかもしれない。


 驚いたことに(驚く小生が頓珍漢なのか)、「メインページ - Wikipedia 」では未だ(多分)原田直次郎の項がない。原田大二郎 ならすぐに見つかるのだが。


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← 原田直次郎『風景』(板/油彩 30.5×22.2) (本作の詳細な情報は、「東京藝術大学大学美術館 収蔵品データベース 人物情報 - 原田直次郎 」にて)



 原田直次郎については、「美の巨人たち 」でも特集されたので、テレビで見て感銘を受けた人も少なからず居ることだろう。


 小生は当時は生憎、テレビがなくて見逃している:
美の巨人たち 原田直次郎『靴屋の職人』


「直次郎は文久3年、東京・小石川に生まれます。岡山藩の兵学者で、後に貴族院議員となる父のもと、幼少時代からフランス語を習い、20歳のとき、高橋由一が主催する画塾「天絵学舎」で洋画を学び始め」、「明治17年、21歳でドイツに留学します。ミュンヘンアカデミーに入学し、見るもの、聞くもの、すべて貪欲に吸収しながら、めきめきと上達していきます」。
「そして直次郎はこの地で、作家・森鴎外と出会います。鴎外の短編小説『うたかたの記』の中に登場する、ミュンヘン留学中の日本人画家、巨勢のモデルは直次郎です。若き留学生同士、意気投合した直次郎と鴎外は、終生の友として親交を深めていきます」。


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→ 原田直次郎『肖像(自画像)』(1886 キャンバス/油彩 49.8×39.1) (本作の詳細な情報は、「東京藝術大学大学美術館 収蔵品データベース 人物情報 - 原田直次郎 」にて)



 冒頭で集中の黒田清輝の一文を参照させてもらった『原田先生記念帖』だが、これは「洋画家・原田直次郎の没後10年を記念して開かれた展覧会 」のカタログなのである。
 このカタログの制作もだが、歿後十年展の開催自体も森鴎外の尽力に負うところが大きいという。


 この辺りの政治的背景そのほか、下記のサイトで興味深い話を読むことが出来る:
静岡県立美術館【ティールーム:美術館ニュース「アマリリス」】 研究ノート 『原田先生記念帖』雑感 -学芸員・森鴎外- 堀切正人


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← 原田直次郎『風景』(1897 キャンバス/油彩 76.0×110.5) (本作の詳細な情報は、「東京藝術大学大学美術館 収蔵品データベース 人物情報 - 原田直次郎 」にて)



 冒頭付近で、二十代前半で『靴屋の親爺』を描いたような原田直次郎が何ゆえこの『(海辺)風景』なのか、という疑問を呈している。
 彼がその晩年、病に倒れたことは知られている。その病床で「扨想を主にして、図と云ふものを自分で作り出すと云ふ考で居られた為に、病気になつても絶えず製作して居られた。腰が立たないで寝て居ながら、自分の体の上に画布を吊るして筆を執られた。是が若し想の人でなくて、我々のやうにちよつとした、見て感じの起つた物を画くのなら、こんな事は出来ない。是は先生が想に重きを措かれた一つの得であつたらうと思ふ 」という、そうした作品の一つなのだろうか。
 あるいは、病に倒れる前の作品。この辺りはプロフィールとの照合など、詳しく彼の画業を見てみないと、仮初の見解も持つことは避けたほうがいいのだろう。


 でも、ホントにこれ、原田直次郎の作なの? 作品の世界の幅の広さ!


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→ 原田直次郎『騎龍観音』(明治22年作 護国寺所蔵(東京国立近代美術館寄託)) (画像は、「artlog 原田直次郎_騎龍観音 」より) 「明治時代、近代の絵画表現をつくりだすために、画家たちは日本画と洋画の「はざま」で、いわば手探りで実験的な制作をおこな」っていた(「展覧会情報揺らぐ近代日本画と洋画のはざまに 」参照)。また、「原田直次郎の第三回内国勧業博覧会出品について 和歌山県立近代美術館 宮本 久宣 」が本作についての非常に興味深い分析と思える。実験的…。キマイラ の世界のような、観る者に違和感を覚えさせる絵の秘密とは。明治に生きた画家の、あまりに早い死。末期の床で何を描いていたのだろう。



 なお、原田直次郎の門下には大下藤次郎などがいるが、今回は扱わない。「命と引き換えの自然描写:大下藤次郎 」などを参照願いたい。
                          (08/01/06作)