敵は本能寺にあり‼️
438年前の6月2日は、織田信長
明智光秀に討たれたその日である
本能寺に向かってる時だねー
謎ばかりの本能寺の変
当日、嫡男が宿泊していた妙覚寺に行った時に
聞いた
「本能寺の宿舎は3回、普段はここ妙覚寺に泊まっていた」
もし、当日こちらで討たれたなら
妙覚寺の変になってただろうか
はたまた、生き延びたか?
ここが、当時の本能寺跡
今は、お寺があったことさえわからない
本能寺で自害した信長の遺体は見つからず
だが、ここから持ち出して墓をつくったと言われてるのが
寺町通、阿弥陀寺
秀吉が聞きつけ、葬儀だったか、一周忌だったか
ここで、執り行いたいと言ったけど断られて
大徳寺に総見院を建てて、遺骸の代わりに
信長像を二体つくり、一体は安置し
もう一体は燃やした
燃やした一体は香木にて作ったので
市内は良い香りにつつまれた
一連の流れで、話は通じる
いや、想像するのは楽しい…
あー、歴史探索したい
コロナが早く終息することを願うばかりである