ヨッシャマン戦記 それは自由と冒険の物語(になる予定)

ヨッシャマン戦記 それは自由と冒険の物語(になる予定)

人生は面白くなければつまらない。
そんな当たり前の理念のもと、ただ自分の感覚を信じて、
感じたままに綴ってみました。
うまくすると、あなたの人生にも何らかの風穴みたいなものを開ける可能性がありますが、
全く何も起こらない可能性も十分にあります。

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「卒園式」に出たことがあるだろうか?

なかなか一筋縄ではいかない。

よってたかって親を泣かせようとしているとしか思えない。

あれは危険だ。


3年前、

ヨッシャマンは初めて卒園式に出た。

保育園の保護者会長をやっていたので

祝辞を述べるためである。

ステージ上、園長の隣という絶好の注目席をあてがわれる。

言うなれば、園長以外の全ての人の目がこちらに向いているわけだ。

卒園時の歌やら

在園児の呼びかけやら

まぁ、僕の素敵なスピーチやらが終わり、

卒園証書が一人づつ手渡される。

クライマックスだ。

そら今だ!とばかりに感動のBGMが流れだし

園児の名前を呼ぶ先生の声に嗚咽が混じり始める。

泣き出す園児。

ハンカチで目をおさえる保護者たち。


いや、まじで勘弁してほしい。

こっちは歳とともに涙腺のがたがきていて、

「初めてのおつかい」開始5分で泣いた記録ももってるからね。


ステージ上でぽろぽろ泣いたよ。


自分の子の卒園式でもないのにだよ?


相当、不気味だったと思う。


そして2年前。

長女の卒園式。

もう安定のなきっぷり。

これは仕方ない。なぜなら、

二年間担任してくれた先生がボロ泣きなんだもの。

しかも、退園することが決まっていたから

式のあとも

金八かってくらい一人一人に言葉をかけて

ハグなんかしてるんだから。


そりゃ泣くよ!こっちだって。



てな具合で連敗のヨッシャマン。

明日は次女の卒園式。


これはね、もうサロンに予約してる感覚だよね。

えー、はい。もう泣きに行きますんでって。


言っちゃあなんだけど、

これまでの卒園式とはスケールが違う。

なぜなら、

次女は卒園式が終われば

その足で僕のもとを離れ

母親と暮らすことになるから。


このシチュエーションで泣かないなんて

まず不可能だし

なんだったら

すでに今から涙腺緩んでるからね。


ため息しかでねぇ。



もちろん、娘が死ぬわけじゃないし

また会えるのは分かっている。

しかし、「喪失感」がすごい。

娘への喪失感ではない。

生きがいの喪失感だ。

娘たちが

僕の人生と日々の生活において

どれだけ大きな存在だったのかということが

理不尽なほど痛烈に感じる。

それこそ、

僕の存在が3分の1になってしまったかのようだ。


そして、

「後悔」。


もっと遊んであげればよかった。

もっといい父親でいたかった。

もっと愛してあげればよかった。

もっと出来たはずなのに。


これが後悔だ。

やるだけのことはやった。

愛し尽くしたぞ!と胸をはって送り出してやれない。

それが悲しい。



後悔しない生き方とは

つまり、

全力で愛し尽くすことなのだ。

結果がどうであれ、


自分の愛に胸が張れるかだ。


そう思った。


それは、人だけではない。

物や目に見えないもの、嗜好でもいい。

自分が好きなものを

全力で愛すること。

僕らはそんなやり方でしか

豊かな生を送ることはできないのかもしれない。


ヨッシャマン、今はシカバネだけど

娘たちと離れても

会えなくても全力の愛情を送信し続けようと思う。

娘が大人になったとき

僕は毎日、超強力な愛を送り続けたからな!と胸が張れるように。