のポニョ。
だろう。
それとも崖の上なら船越英一郎だろうか。
そんなことはどうだっていいのである。
胎教にいいものを
と勝手なことを言って、好きなんだろDVDばかり見ている。
これではからきし、ただ理由をつけて現実逃避をしたいだけではないか。
ということで、
昨日借りてきた
崖の上のポニョを見た。
二回目だが、一回目見た時は正直よく意味がわからなかったので(駿さんすみません)、今回は状況が少し飲み込めた感じで見れた。
まず純粋に、ポニョと宗助という二人の子どものやり取りが非常に愛らしい。
「ポニョ、宗助、すき」
という、この一文が、世界のどんなことより解りやすく、まっすぐに好意を、愛を述べていると感じた。
それから宗助の母親のリサ。
とてもたくましくて素敵だった。
わたし自身が弱くてしょうもない人間なので、母親として羨ましく思った。
リサは何より息子を信じきっている。とてもスマートなお母さんだ。
わたしは毎日、
自分のしたことを悔いてばかりいる。
後悔が大嫌い、なのに、だ。
まわりで後悔にかられ愚痴をぶつぶつこぼす人あらば、チッと舌打ちしたくなる。
汚染物質だやめてくれ。
その愚痴ばかりのトークショー1時間で、あんたの人間価値はみるみる下がり、愚痴を聞かされたこっちの寿命は汚染で1時間消費された。
そう思っていたのに、「やめろ!」と言えず、相づちうって聞いていたわたしは、結局は合わせ鏡のように醜いのだ。
ふと、思うことがある。
よしもとばななさんの本にあった言葉が、断片的に頭によぎる。
ほんとうの事を告げると
相手を傷つけるかもしれないけど
恐れてはいけないと思う
嫌われても
本当に自分自身の気持ちにまっすぐに生きて、後悔しない人は、一人ぼっちになることをも恐れない。
わたしは人付き合いが苦手なので、早く強くなっておかなければ、困ったときはきっと一人ぼっちだと、日々焦り、うまくやれずに後悔ばかりしている。
馬鹿馬鹿しいまるで堂々巡りだ。
罪深いことを、お許し下さい。賛美歌をくりかえす。
明日は、バナナケーキを焼こう。束の間の幸せを。
だろう。
それとも崖の上なら船越英一郎だろうか。
そんなことはどうだっていいのである。
胎教にいいものを

これではからきし、ただ理由をつけて現実逃避をしたいだけではないか。
ということで、
昨日借りてきた
崖の上のポニョを見た。
二回目だが、一回目見た時は正直よく意味がわからなかったので(駿さんすみません)、今回は状況が少し飲み込めた感じで見れた。
まず純粋に、ポニョと宗助という二人の子どものやり取りが非常に愛らしい。
「ポニョ、宗助、すき」
という、この一文が、世界のどんなことより解りやすく、まっすぐに好意を、愛を述べていると感じた。
それから宗助の母親のリサ。
とてもたくましくて素敵だった。
わたし自身が弱くてしょうもない人間なので、母親として羨ましく思った。
リサは何より息子を信じきっている。とてもスマートなお母さんだ。
わたしは毎日、
自分のしたことを悔いてばかりいる。
後悔が大嫌い、なのに、だ。
まわりで後悔にかられ愚痴をぶつぶつこぼす人あらば、チッと舌打ちしたくなる。
汚染物質だやめてくれ。
その愚痴ばかりのトークショー1時間で、あんたの人間価値はみるみる下がり、愚痴を聞かされたこっちの寿命は汚染で1時間消費された。
そう思っていたのに、「やめろ!」と言えず、相づちうって聞いていたわたしは、結局は合わせ鏡のように醜いのだ。
ふと、思うことがある。
よしもとばななさんの本にあった言葉が、断片的に頭によぎる。
ほんとうの事を告げると
相手を傷つけるかもしれないけど
恐れてはいけないと思う
嫌われても
本当に自分自身の気持ちにまっすぐに生きて、後悔しない人は、一人ぼっちになることをも恐れない。
わたしは人付き合いが苦手なので、早く強くなっておかなければ、困ったときはきっと一人ぼっちだと、日々焦り、うまくやれずに後悔ばかりしている。
馬鹿馬鹿しいまるで堂々巡りだ。
罪深いことを、お許し下さい。賛美歌をくりかえす。
明日は、バナナケーキを焼こう。束の間の幸せを。