7歳になったアレっこ。年齢別お悩みチャート | 乳アレルギー長男とノンアレ次男、ワーママ日記【食物アレルギー】

乳アレルギー長男とノンアレ次男、ワーママ日記【食物アレルギー】

おでかけ、食べること大好きな私でしたがアレルギー発症した我が子。
それでも工夫して楽しく暮らしている日々あれこれ記録していきます!
アレルギーや育児に関して喜怒哀楽の喜と楽中心のブログを心がけています。アレルギーの詳細はプロフィールを参照



今回のメインテーマは
0~7歳までの年齢別のお悩みを
振り返ります
 
 

こんにちは。

 
長男が先月7歳になりました。
早いなぁ照れ
お母さんになって7年かぁとしみじみ…

ピンクハート育児楽しいことばかりでしたピンクハート
 


うちの長男は…
 
離乳食のときからアレルギーが判明した
のですが

現在、症状がひどく
少量しかダメな割に

赤ちゃんのときに

このときに
乳アレルギーが判明した
 

という明確な記憶はなかったように
思います。


 
離乳食を1歳5ヶ月まで
ほぼ食べてくれなかった
 
それもアレルギーだとわかりにくかった
要因の一つえーん
 
 

その頃を振り返ります。
初めての離乳食
 
お粥をあげても
食べてくれない
そんなことが何日か続き
 
味のないご飯の味が嫌
なのかなと
 
粉ミルク粥
ベビーフードの
コーンスープ粥
にしてみる
も拒否


殆ど口の中に
食べ物を入れて食べなかったものの
口の周囲は
赤くなりました
 

その後年齢が上がって
もっとひどい症状が何度も起きるのですが
生後6ヶ月のときは口の周りの赤みだけで済み
そして離乳食断固拒否
は続くのでした
 

アレルギーっこ特有舌や味に敏感だった
のもあったのでしょうね
 

離乳食を食べなかった
お粥を食べなかったのは
アレルギーのせいではなく
たまたまだったかもしれませんが
 
私が用意した
粉ミルクを使ったお粥
(偶然にも乳製品をあえて与えることに)
を食べさせたのが

食事拒否の決定打
となったのだと思いますショボーン



更にダノンを試したりもしました。
 
こどもは
ミルクやコーンが好き
ヨーグルトが好きな
私の勝手な思い込み
 

いよいよ母乳のみしか口にしない
1歳児は
健診でひっかかり
病院行き
  
採血結果から
アレルギーが確定
したわけでした。
 


そしてその後の初めての負荷試験
まさかの牛乳1滴で
苦しがり終了
 
食物アレルギーの子を育てる
現実が始まったわけです
 
 

7歳のお誕生日のことなのに
振り返りですみません。
 
今(7歳)が一番辛いか?
といえばアレルギー歴の中ではそうでもないです

 
女の子男の子
乳児期

幼児期

小学校入学
男の子女の子
を経てみて
辛かったことを振り返ってみます。
 


年齢別
エピソード
ショボーン主に辛かったことショボーン
 


【1歳から2歳(保育園1歳児)】
◆とにかく私達夫婦の食生活が一変
 
◆外食が楽ではなくなった
 
◆買い物の成分チェックに不馴れ
 
今まで好き嫌もなかった私達夫婦
作る楽しみ食べる楽しみから
洋食分野が削られました。

そして手抜きの為ではなく
○○が美味しい話題の店へ外食すること
はなくなりました。 

外食の際の情報収集にも不馴れ
今までアレルギーを意識してなかったときは
見もしなかった買い物するときの
後ろ側の成分チェック

チーズ、バターじゃないものにも
乳を使ってるの?
唐揚げ天ぷらなのに乳成分?と驚きと戸惑いでした。
 


アレルギー生活面で一番つらい時期
2~4歳くらい

【2歳から3歳(保育園2歳児)】
◆一番誤食事故が多かった時期
 
◆周りの子との違いに落ち込む
 
◆親子同じ食事になり食事のレパートリーが激減
 
◆牛乳接種可能な量が明らかとなる
 

・乳製品が入っていない表示をしているものなのに
実際乳成分を使っていてアナフィラキシー

・認識の甘い祖母が
一口だけなら食べさせてしまうこと数回
気軽に預けられない

・幼児食が段々終わり
大人と同じものが食べられるようになって
ますます食事作りに緊張感と少ないレパートリー

・友だち親子とご飯食べに行っても食べるものに困る
集うの大好きだった私は
この頃から控えるように。

行きたい集まりに行きにくい
こちらから集まりを設定しにくい

・負荷試験を受けた結果
100倍希釈しないと
数ccすら接種できなかった
 
 


【3歳から4歳頃(保育園3歳児/年少)】
▪本人が理解しだすということ
 
▪卵が除去解除☆
 
どんな食べ物、おやつがあるのか本人の認知が高まる
絵本にでてくるソフトクリーム、ドーナツ、パン、ケーキなどなど美味しそうなおやつ

これらには
にゅうせいぶんが入っているから
たべられないんだよ!
と説明
それを素直に理解する長男が不憫でたまりませんでした。

チョコレートやアイス、
当たり前のものを食べさせてあげたい
だけどどこにでもは売っていない

いつも作ってはあげられない。ごめんね。

ぼくはなんでアレルギーなの?
○○(市販品)がたべたい!!
言わないところが母は切ない
 
 
 


【4歳から5歳(保育園4歳児/年中)】
▪治らないかの不安
 
▪周りにいない孤独感
 
▪次男もアレルギーだったら?
 
▪経口免疫療法スタート
 
▪エピペン処方
 
▪市販品がだいぶ増えてきた
 
アレルギー生活にはなれてきたものの
幼児期の終わりが見えはじめているのに
まとまった量が飲めるようになっていない

周りに重度のアレルギー親子がいないので
情報を聞いたりすることができないし
自分からも吐き出せない。

アレルギー治療が長丁場になるなら
仲間が欲しいな思いました。

入院負荷試験で100倍希釈で飲める量が安定してきてついに自宅で経口免疫療法を。
0.07ccから開始。
それまでとにかく完全除去!!
を貫いてきたのですごく前進した気分

除去=遠ざける 
        ↓
微量でも口にする⇒治療している  と
前向きな気分

エピペン処方開始によりほんの少しだけ
もしものときの安心感が得られた

だけどエピペンイコール重度!
の烙印を押されたような気分でも…

 豆乳を使った商品が少しずつ増えてきたり、
私自身もどこに行けば食べられるものが売ってるかに少しずつ慣れてきた。

豆乳チーズなんて数年前はなかっただろうなぁ
ビーガンが注目され始めて、
ソフトクリームが食べられたり
嬉しいこともでてきました

家庭でも豆乳に
代替えして作るお菓子やパン作りに慣れてきました。
 
 


5歳から6歳(保育園5歳児/年長)】
▪小学校への不安
 
▪乳OKな弟との両立
 
▪ブログを始めました
 
かなり誤食事故は減る
家庭内であれば
安心して食事を楽しめる生活に慣れてきた。

漠然とした不安
手厚い保育園から大所帯小学校へ
ちゃんと対応してくれるのか、
子供同士のトラブルは?

弟にアレルギーがないことがわかったけど
申し訳ないけど弟にチーズや牛乳は殆どあげていない
それでいいのかモヤモヤするけど
安全にはかえられない
 


そして!
ここは敢えて前向きに!
▪小学校側の理解
 
▪本人の自立
 
予想に反して通っている小学校が
とても理解があり安心している。
対応も非常に慎重で任せることができる。
家庭と連携が取れている。

何度か給食中に見学や
子供たちに
アレルギーのお話をしにいったこともあるが
小1の子供たちは

今のところひどいことを言ったり
危険な態度を取ったりはなさそう
1年生ってまだまだカワイイピンクハート

僕は牛乳アレルギーがあって…
とちゃんと知らない人に説明できている
 
 
 
長男を出産した頃
食物アレルギーの知識が何もなかった私
 
いずれ治るのかな?
なんて思ってた現在0.8cc
 
アレルギー発覚当時の自分が
小1で0.8cc
って知ったら悲観するんだろうなぁ
 

だけどこの2年
自宅経口免疫療法始めたときに比べたら
すごい!
1cc目前!
と拍手もの。
一番はじめは牛乳を100倍希釈し
0..01ml相当
そこからのスタートでしたから
 


声に出して言うと辛いけど
将来牛乳1本200ccが飲めるようにならない、
寛解しないかもしれない。


それでも長男が大人になって生活の中でアナフィラキシー起こさなければ、アレルギーのせいで職業が制限されるとかがなければ数10ccOKな程度になっていればと思います
(少なくとも親である私は。
本人がどこまで望むかはわかりません)
 
とにかく危険な思いをしませんように。
 

7年、振り返ってみると
 
その時々のあの頃
に比べたら

やっぱり
今の方がまだ楽になっていると
私は感じますニコニコ