7月30日に突然父が亡くなり、8月7日がお通夜で8日が告別式だった。
通常だったら亡くなって数日で葬儀のところ、今の時期はお寺も葬儀場も混んでいてかなり日数が空いてしまった。
(その間、葬儀場に父の顔を見に行くことは出来た)
お通夜当日。
開場は18時半〜だけど、朝9時半に葬儀社の方が来て最終打ち合わせ。
打ち合わせの最中もトムは実家のリビングを駆け回っていた。
私「見ての通り障害のある子供が居るんですが、落ち着かせることが出来る控え室はあるでしょうか?」
葬儀社の方「もちろんございます、大丈夫ですよ」
慣れた様子で答えてくださって少し安心した。
お通夜には思った以上の人数の方が来てくださった。
足りなくてあとから椅子を追加したほど。
暑い中、ご高齢の方も多く来てくださってありがたかった。
トムは途中声を出したりもしたけど、お焼香の時私と夫の間に立たせて一緒に行けたし、本当に頑張ってくれた。
お焼香が終わったあと崩れそうだったので夫と控え室に行ってもらって、もう戻ってこないだろうと思ったら終了間際にまた戻ってきた。
(気持ちが切り替わりそうなタイミングで夫が「ママのところに戻る?」と聞いたら自分で靴を履いて戻る意思表示をしたのだそうだ)
トムは物怖じせず通夜振る舞いの食事をぱくぱくと食べ、親族からも「ウチの親戚にも障害のある子が居て…」などと話を聞いたりして、いつもならとっくに寝ている時間に帰宅。
興奮んして寝ないかと心配したけどぐっすり寝てくれた。
翌日、10時半から告別式。
お通夜が思いの外上手くいったから大丈夫かと思ったけど結構崩れた
貸していただいたひざ掛けを頭から被って椅子の下に潜って大半を過ごし、1回目のお焼香は参加できずに私ひとりで行った。
(崩れすぎてて控え室に誘っても動かなかった)
告別式の時に一緒に初七日法要もやってしまうスケジュールで、親族は2回目のお焼香。
また私ひとりで行って、夫に交代で行ってもらおうとしたら急にトムがやる気出したので3人でお焼香出来た。
棺にお花を投げ入れ、つめたい父の額をペチペチと叩き、「じいじにバイバイだよ」というと手を振るトム。
最後のお別れなの、わかってるのかな。すこしむずかしいかな。
でもじいじはきっと喜んでくれたと思う。
火葬場にバス移動して、父を焼いてる間に(←言い方)会食。
トムが会場から脱走してダッシュで追いかけること2回。
ヒールのある靴で大失敗だよ(黒のパンプス一足しか持ってなかった)
今度黒の走りやすいパンプスを買っておこう。
ちょいちょい崩れたしずっとトイレの心配もして大変だったけど、お骨をお箸で挟んで骨壷に入れるのも手を添えて一緒に出来たし、とにかくパニック退場にならずに参列出来て本当にトムはがんばってくれた。
私はトムに集中しすぎて全然泣けなかったけど、それはそれで良かったと思う。
父の遺影に「お母さんを守ってあげてね。私はトムが居るからまだまだそっちには行けないよ。家族みんなが健康で平和でいられるようにどうか見守ってね」とお願いしておいた。
告別式が終わってすぐに葬儀社の方が自宅に来て、今後の役所手続きとか(時間があったので割と独自に進めてた)、四十九日のことや納骨に伴う墓石への印字のことや位牌のことなど、色々話した。
片付けても片付けてもやらなくちゃいけないことが山積みで、ぶっちゃけ母はアテにならないので姉がいてくれて本当に助かった。
「縁起でもない」と思ってしまうかもしれないけど、親にエンディングノート作ってもらったり貴重品の場所を聞いておいたり元気なうちにやっておいた方がいいです。
何がどこにあるか分からないと、本当に!!本当に!!苦労しますよ
前回のブログにたくさんコメントやメッセージを頂き、ありがとうございます
とてもとても励まされました。
個々に返信出来なくてごめんなさい。
すみません、まだちょっと余裕がないのでこのブログのコメント返信も無しとさせてください🙏
ごめんなさい。
去年夫の親族の葬儀があって、私は出席しなかったけど喪服を新調したんです。
(手持ちのはデザイン若すぎてサイズもキツかった)
まさか真っ先に父の葬儀で着ることになるとは思わなかったけど、買っておいてよかったです。
葬儀場は冷房がとても強くて寒いので、夏でも上着は絶対に持って行ったほうがいいです。
お子さんも長そで長ズボンを念のため準備したほうがいいです