先月の終わりあたりから様子が変だった。

やたら息苦しい。

季節の変わり目だということがあるし、このための気温の変化が例年より激しいためだと思う。

明日は良くなる明日は良くなると思いながら症状は悪化の一途を辿り、今ではキーボードを打つのにも息が切れる。

 

それが夜になると嘘のように落ち着くので、ひたすら夜を待ちながら文字通り身悶えしている。

 

食事の支度は本当はできないのだけれど、そこのところをなんとか辻褄を合わせて、ベッドに潜ったり、キッチンに立ったりを繰り返しながらなんとか簡単に仕上げている。

今日は夫に頼んだ。

 

正直なところ、もう疲れた。

 

あんなに夢中になった編み物は、夜落ち着いた頃に少しだけ進める。だけれど集中できなくなってすぐ間違えてしまう。

 

この症状は実は今始まったものではなくて、来し方、節目節目に現れて私を苦しめる。

都度、入院という選択をするのだけれど、今後また入院して寝たきりになると、今以上に足の筋肉が落ちて歩けなくなると言われている。

 

本当に困ったものだ。

 

 

 

 

 

昨今、花粉症全盛期であちこちでえらいことになっている。

私は血液検査では立派なスギ花粉症なのだけれど、あまり目が痒くなったり頭がぼうっとしたりすることはない。ただ短期的に鼻水が出る。怒涛のように出る。でも、この症状は期間限定なので、鼻をかみすぎて鼻くそのようなかさぶたができるようになる頃には、なぜか自然に治ってくる。

 

但し、この時期全身がむず痒くなり閉口している。それで、市販の痒み止めを使っているが、このことに迷いがなかったわけではない。

 

       

 

私の一家は食を含んだ生活全体をマクロビオティック一色に染めていた時期があり、この主旨でいうと、台所にあるもの(野菜や調味料など)で、疾患に対処することになっている。

 

子供が発熱しても、慌てず騒がず大根の葉などで頭を巻くか、水切りした豆腐をおでこに乗せるかして熱を吸わせ頭を守る。

そして子供の目つきを観察して、危険を察知すれば病院に行く、という次第である。

つまりケミカルの類はなるべく使わないのが鉄則だった。

 

ところが私が40代になった頃、突如重度のアトピー性皮膚炎に罹り、丸7年間苦しんだ。

律儀な私はいわゆる民間療法だけで対処していたのだけれど、7年は長かった。

ついに根気が失せて、知り合いの皮膚科医に相談した。彼女はうちが作っているお菓子の顧客で、私がアトピーをマクロビオティック=民間療法で直そうとしていることもよく知っている上で薬物療法を勧めてくれた。

 

それでも、絶対的禁忌である副腎皮質ホルモンを使うことには決心が要った。リバウンドが怖いことは頭に刷り込まれていたから。

 

でも医師の絶妙な匙加減で、私はゆっくりじわじわと回復してゆき、数ヶ月でほぼ完治して心身ともに楽になった。

このことは大きな学びになった。

 

だから、原発事故の避難で深く心を病んでしまった時も、気功などと並行しながら病院の処方薬を使った。

 

それでよかったのかどうかはわからない。

向精神薬はいろいろと難しく、効いているのか効いていないのか、その処方で良いのか悪いのか非常に曖昧なところがある

 

ただ、LOCということは最も大切にするべきことだと、今では切実に思っている。

 

暑いくらい暖かい日が続いたと思うと、昨日の明け方には寒さで目が覚めた。

コッコ(鶏)たちに餌をやるために外に出ると、霜が降りていて、コッコの水桶には固く氷が張っていた。

例年にないほどきつい寒暖差である。

 

あまり気にしないようにしょうと思っていたが、ただでさえ季節の変わり目は恒例の不調に悩まされる。今年は殊に辛い。

 

朝目覚めて間もなくすると、脈が高くなる。呼吸が苦しくなる。

夫が留守の時は、コッコたちの世話を終えるとまたベッドに潜り込み、延々と眠っている。

が、夫がいれば食事の支度などがあるので、体を引きずるようにして家事をすることになり、何か対処をしないとどうにもならない。

 

     

 

で、非常時用に処方されている頓服を飲み、ゆっくり動いてみるのだが、これがなかなか思うようにならない。

私は障害者だけれど、それ以前に自律神経が弱い。

気候の変化やストレスに弱いのだ。

 

ともかく自分を励まそうとちょっとAmazonに嵌まっていて、最近は塗りが禿げて見窄らしくなったお椀を買い替えた。

車の運転をやめて買い物が不自由になった。少し依存症気味になっているネットショッピングは注文して即日届くので、ボールペンやみかんなどもAmazonして助かっている。

 

また、食事の支度が少しでもスムーズにいくように、数日ごとに献立を作っている。

今日のお昼は夫のタイ土産のビーフンを使って五目ビーフンを作ることになっている。

 

次の外来は今月の末だ。

とりあえずは、その時までなんとかやり過ごさなくてはならない。

 

今年も近づいてきた3月11日。

 

毎年この時期になると体調が崩れ、メンタルがフラフラになる。

季節の変わり目ということもあるし、例の大震災のトラウマが浮上してくるのだ。

 

おまけに今年は、行きつけの接骨院の玄関で激しく右足を捻挫して悶絶する羽目になった。

 

右の股関節は昨年人工のものに替えており、長期の入院を10年繰り返していることから筋肉量が著しく減少しているために関節を支えきれず、この人工股関節が、時々ボコッと音を立ててずれる。

 

恐怖である。

いつ歩けなくなるか、という心配で頭がいっぱい。

 

気を紛らわすためと、車椅子になった時の用心のために編みものを自学自習している。

だが、それどころではないのかもしれない。

 

お彼岸に種まきをするハーブたちだけれど、今年は3月上旬にしようと思っていた矢先の怪我で、これも気落ちの原因である。

 

歩けなくなれば、種まきどころではない。

昨日はしばらく前に買ってきた鉢花を大きめの鉢に植え替える作業をした。小さな花をたったふたつ植え替えるのも大変だった。

 

小さな本屋で見つけたハーブの本を夢中で眺めていた。

もうこれも諦めなくてはならないのだろうか。

 

     

 

結局、何事も完結しない我が人生だった。

自分は何もできないということが、今更だけれど重くのしかかってくる。

 

でも、ハーブの種は買ってある。

多分私は、這ってでも今年は種を蒔くのだと思う。

冬も終盤となった今になって、毛糸にしがみついている。

私は背中と膝以外にも首の骨も異常なので、長い時間編みものをすることはできないのだけれど、夜のいっときを使って、70の手習はこれにしようと孤軍奮闘中である。

 

入院中の手遊びにマフラーは何本か編んだけれど、ちょっと色気のあるものを編むのは50年ぶりですっかり手法を忘れ去っている。

思い出し思い出し、肩に目一杯力が入った状態でまず、帽子をひとつ編んだ。

 

これは、まあまあそこそこの出来だったといえるかもしれない。で、調子に乗って二つ目を編み始めたら、なんかおかしい。幾何学的な模様を編み込もうとしたのが思っていたような柄にならなのだ。

 

     

 

もう少し易しい柄にしようと思って、この二つ目は解くことにした。

写真は苦戦した記念に撮ったもので完成あと一歩のところ。後ろにある茶色系のはひとつ目の作品だ。

 

震災でいろいろなものをなくし、年を重ねることでできることが少なくなった。だからといてただ呆然としているわけにはいかない。

編み物も結構頭を使うから、このくらいのことは自分に課してもいいと思う。

 

そして今更だけれど、なんか社会貢献みたいなことがしたいな、と思っていたところ、編みもので被災地の復興支援をしたり、発展途上国の就労支援をすることができることに気がついて、それを目指すことにしようと思ったが、如何せん、きちんと習った技術を持たないのでそれは不可能だろう。

 

それでもいいではないか。

私は毛糸が好きだ。

避難しているときも、ささやかに毛糸を買って自分を慰めていた。

 

自分の好きなものに没頭する時間を持てることは、幸福なことだと、素直にそう思えるから。