ハイドンやモーツァルトの影響を受けつつも、意外な和音で始まる冒頭や、クラリネットを効果的に用いた革新性、スケルツォ風メヌエット等など、後の交響曲の布石となる箇所が随所に見られ、古典派の伝統とベートーヴェンの新しい試みが融合した交響曲となっています。
これ以上の詳しいことは、ネットや書籍に譲ります。各自で確認して下さい。
さて今回聴いたのは、1984年に最後のセッション録音となるカラヤンとベルリン・フィルの演奏です。
アンチ・カラヤンの最も、ベートーヴェン初期の素朴さの無い嫌う耽美の極地のような美し過ぎる演奏です。
この頃のベルリン・フィルは、カラヤンと完全に同化した「ツーと言えば、カーと鳴く」関係で纏まり完璧なアンサンブルと言う点では、セルとクリーブランド管弦楽団、ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルと並ぶものです。嫌、その中でも抜きん出ているかな。
とにもかくにも、ベルリン・フィルはカラヤンの指揮に完璧に反応し、カラヤンの思うようなベートーヴェン像を完璧なまでに再現します。聴いていて飽きる程に。
テンポ、聴かせ所等の基本的なコンセプトには大きな演奏は変化は60年代、70年代の演奏とありません。
あるのは、磨き抜かれた流麗なオーケストラの宝石のような輝く美しいサウンドにあります。これについては、60年代、70年代、80年代と微妙にクレッシェンドのように変化しています。そして80年代の演奏が、カラヤンとベルリン・フィルの究極の完成形となっています。
どの楽章を取ってもカラヤン美学を徹底的に追求し、その意図をベルリン・フィルが忠実に完璧に演奏するものとなっています。
