昭和20年4月9日に遭難された宅島徳光さんという海軍中尉が恋人の八重子さんに宛てた手紙です。

宅島さんは【くちなしの花】の元になった事でも有名です。


享年24歳。


昭和19年3月中旬


『私自身の未来を私は予知することができない。
そして私は私であっても、私の私ではない。
このことは賢明な君は良く理解してくれていると信ずる。

もはや私は君一人を愛すること以上に、日本を
そして君を含めた日本の人々を愛している。

君に会える日はもう充分ないだろう。
あるいは永久にないかもしれない。』


昭和19年6月11日


『その時のあるを覚悟して俺はすべて身の回りを整えておきたい。
このような俺の信念は、どうしても君を不幸にさせたくない
ということの考えに通じている。

妻のただ一人の、最も信頼すべき味方は常に夫である。
若くして夫を失った妻の将来はひじょうに不幸である。

そのようなことが君の身に起こるということは
俺にとっても寂しい。』


昭和19年6月13日


『はっきりいう。
俺は君を愛した。
そして、今も、愛している。

しかし俺の頭の中には、今では君よりも大切なものを蔵するに至った。
それは、君のように優しい乙女の住む国のことである。

俺は静かな黄昏の田畑の中で、まだ顔もよく見えない遠くから、
俺たちに頭を下げてくれる子供たちのいじらしさに強く胸を打たれたのである。

もしそれが、君に対する愛よりも遥かに強いものというなら君は怒るだろうか。

否々、決して君は怒らないだろう。
そして、俺と共に、俺の心を理解してくれるだろう。

ほんとうにあのような可愛い子らのためなら生命も決して惜しくはない。

自我の強い俺のような男には、信仰というものが持てない。
だから、このような感動を行為の源泉として持ち続けていかねば生きていけないことも、お前は解ってくれるだろう。

俺の心にあるこの宝を持って俺は死にたい。
俺は確信する。
俺達にとって死は疑いもなく確実な身近の事実である。』



昭和19年6月30日


『 俺の言葉に泣いた奴が一人
  俺を恨んでいる奴が一人
  それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人
  俺が死んだら【くちなしの花】を飾ってくれる奴が一人
  
  みんな併せてたった一人…』