津波のあとご主人が見つからないままだった奥さんと、災害支援の中で知り合った。震災から100日が過ぎても死亡届を出さずにいた。
外国の方だったので言葉が不自由で、役所の窓口の届け出もご主人の仕事の整理手続きも、片言の日本語では困難を極めていたようだ。
とても大変な時期に言葉が不自由であるという事は本当に辛かったと思う。僕ら夫婦と話す時も、何かを伝えようと頑張るけど、ふと諦めてしまう瞬間が多くあった。
全壊した自宅で一緒に遺品を探したり、避難所からみなし仮設への引っ越しを手伝ったり、僕らに出来る事をした。
しばらく経った秋に僕の携帯が鳴った。
「主人、見つかりました。書類、見るわからない」
たどたどしい内容だったし直接に会いに行った。見せてくれた書類は検案書で、
発見された場所の記載欄は7桁と8桁の数字が書かれていた。緯度と経度だ。調べると金華山沖30キロの海上になる。
悩んだけど、地図上に場所を示してそのことを伝え、呆然とする奥さんに「必ずその場所へ連れて行きます」と約束した。
浜市の漁師さんが船を出してくれた。沢山の花束をもって、それでも足りないだろうからと、野草の花を集めて袋に詰めた。
大曲浜の漁港を出発して、ずいぶんと長い時間進んだ。ふいに漁船がエンジンを停めた時、周りには何も見えなかった。360度の水平線が広がる中、奥さんはひとしきり泣いていて、僕らは見守るしかなかった。
花束を静かに海におろし、そこから港に戻るまでずっと、袋に詰めた花びらを海面に撒いて来た。浮いた花びらが海上に道のように繋がった。
先日妻が奥さんと久しぶりに会ったらしい。ひとしきり抱き合って再会を喜んでくれて、その時のお礼を言っていたと聞いた。元気そうで何よりだった。あれから沢山の時間が過ぎたのだ。