児童養護施設で幼少期を過ごした僕にとって、ふるさとと呼べる場所は無いまま育った。一般の人には分かりづらいかもしれないが、特定の場所に対して郷愁を抱けない、そんな感じだ。

 

 震災後のボランティア活動でこの町に来て、長い時間を過ごす中で初めて「土地に愛着を持つ」という意味が分かったように思う。

 僕は今この町が大好きだし、この町に住み続けようと思っているが、移り住んだ当初は「僕はよそ者だから」とばかり言っていた。でもあれから11年5か月この町に住んでいるわけで、いつまでもよそ者とは言っていられない。実際のところ11年以上住み続けた町は東松島だけである。

 

 僕にとってこの町は、津波に破壊された瓦礫の光景から始まっている。元の町の姿を知らないのだ。元の町を知らないということは喪失感がないということだ。震災によって失われたかつてあったはずの建物や景色、震災後移住組である僕には、それらが無くなったという喪失感がない。

 代わりにあるのが「欠落感」だ。これも地元の人々には分かりづらいかも知れない。過去のこの場所を知らないという決定的な事実。どんなに頑張っても過去のこの町の姿は、僕らは永久に知ることが出来ない。

 

「ここには大きな運動場があってね」

「あのあたりに、コロッケの美味しい肉屋さんがあってね」

 

 そうした地元の人の話を聞いて、僕はただ想像を巡らせたりするのだ。

 

 先日書いた野蒜小体育館で泥の除去作業をしながら、壁に掲げられた校歌をよく眺めた。

「太平洋の 荒波の 不老の山を 打つところ」

 

 どんなメロディラインなのだろう・・。学校が併合されて無くなる前に、

子どもたちが僕の前で歌ってくれた。

 

 ♬たーいへーいようのー♬あらなみーのー♬

 

僕の頭にこびりついていた詩に、はじめてメロディが重なった。