被災した町並みを最初見た時、どこまでも続く瓦礫の景色に気が遠くなった。

 

 役立つようにと車に積んできたスコップは、まるでただの爪楊枝にしか見えなかったし、東日本の沿岸数百キロにわたって続くこの被災の跡が、復旧するとは到底僕には思えなかった。

 

 自衛隊や警察、消防、地域の人たちが捜索を行い、行方不明者と死亡者の数字は毎日新しいものが発表されていく。

 

 僕らはチームを作って避難所を回り、依頼を受けたお宅から瓦礫の除去に伺った。

瓦礫除去と言っても全壊の建物が殆どだ。柱すら残っていなかった家もある。

 当時僕らはそのようなお宅の作業にあたり、ひたすら遺品探しをすることもあった。

 

 何度かボランティア参加者に聞かれたことがある。

「なぜ取り壊す家を掃除するのですか」

 

僕はいつも同じように答えた

「家を取り壊すかどうかは関係ない、その人が求めることが、

今その人に必要な事だから」。

 

 理由はもう一つあった。当時、回復可能な家には多くのボランティアが入れたけど、建物がつぶれ柱の無くなったような家は危険なため、ボランティアセンターからの人員配置は出来なかった。

 

 仕方ないことだけど、そんな危険な建物の中で、おばあさんが一人で遺品を探したりしていた。僕らのチームはそうしたケースを優先して手伝うようにしていた。

 重機やトラックやチェンソーを使った重作業も多かったし、実際のところケガ人も多く出た。

 

 僕らが作業にあたった建物は、今は殆ど残っていない。被災状況のひどいお宅ばかりだったからだ。

 

「せっかく片付けていただいたのに、取り壊しになって申し訳ない」

と依頼者の方に謝られることがあるけど、むしろ僕らはそのことを誇りに思っている。

そして何より、色彩のなかった茶色い光景は今、新しいいろどりを取り戻している。