世の中の色々なことについて思うこと・神吉雄吾のブログ

 昭和天皇が崩御されたことを知ったのは、とても寒い真冬の早朝だった。都会の街角はまだ歩く人もまばらで、空はどんよりと曇っていた。

 

 僕はビルの電光掲示板に流れるニュースを見上げて、街ゆく人々も時が止まったみたいに立っていた。

 自分のいる場所の背景も、音も消えてしまったような、静かで平べったい喪失感の中に佇んでいた。

 

 あの昭和の終わりの頃、世の中はずいぶんと浮かれた時代だった。バブル景気に沸いて国中が活気にあふれ、毎夜ディスコには着飾った人々が踊っていた。

 

 そんな繁華街のネオンもその夜だけはすべて消えて、静まり返った暗い街並みだったのを今でもよく覚えている。

 

 昭和天皇は僕から見て祖父のような存在だった。言葉少なく威厳があり、居てくれるだけで温かい気持ちになれる。僕は自分の祖父を知らないから、余計にそうした思いが強かったのだろう。

 

 当時の側近の記録によれば、日頃から皇后陛下に気遣いを欠かさない、とても優しい家庭的な人であったそうだ。いつも早く目が覚めてしまうから、皇后陛下を起こさないように、そろりそろりと忍び足で、早朝の廊下をつま先で歩いていたというエピソードがある。

 

 僕と同じく、コラム読者の殆どが昭和生まれだと思う。

 

 今となっては懐かしくも古めかしくあり、それでも記憶の中で輝きを保って人生の根っこを形作っている昭和。

 

 今と比べれば街も空気もひどく汚かった。繁華街を歩けば目つきの怪しい人や汚れた格好の人も多い。それでも何か温かい人間味のようなものがあふれていたように思う。

 

 どこにでもタバコの吸い殻が落ちていたけど、それを拾って巻きなおして、街角で売っている逞しい人たちもいた。

 

 好景気に浮かれた世の中に取り残されていたとしても、陽気な街並みの中にいると自分にも何か出来るような、何か起きるような気持にさせてくれる。

 

 あの時代はみんな疲れていたけれど、良くわからない不思議な希望にも満ちていた。

 

 戦後の悲しみにあふれた焼け跡から、人々が逞しく立ち上がった激動の時代「昭和」も100年が経過した。

 

 2月24日、「大喪の礼」が執り行われた日は雨だった。

 

 冷たい雨がたくさん降るとても寒い日で、喪服姿の葬列が濡れていたのを覚えている。