温泉に行った帰り道、車の中で、友人と南海トラフの話になった。
三十年以内に必ずくると言われている南海トラフ。
考えれば考えるほど恐ろしくてたまらないけど、それでも現実だから受け入れるしかない。
そして、備えるしかない。
恐い恐いと言いつつ、何も準備していないわたしに彼女が言う。
「絶対に備えてる方がいい。多少高くてもケチるところじゃないし、明日きたらどうするよ?」
あと「避難所をちゃんと決めて、家族と共有しときよ」とも。
「なんかあったら、玄関に逃げた方がいいらしい。震災とかのときも、玄関だけが無事だった一軒家多かったっぽい」とも。
改めてこういうことについて話すと、本当にちゃんとしとかないとな、と思う。
楽天市場で『防災グッズ』と調べてみると、二万くらいしたりする。
ケチってる場合じゃないとは思いつつ、ホームセンターとかで自分で揃えようかな、とやはりケチるわたし。
お湯や水を入れたら食べれる米とかもでてきたけど、水道が出なくなったら結局無理やん。
友人曰く、カロリーメイトとか良いらしい。お菓子とかも結構日持ちするとか。
でもおばあちゃん固いの食べれないしな。まぁ、なにか探してみよう。缶詰とか絶対要る。
うちは震災後に建てられたマンションだから、家の中にいるとワンチャン安全。
でも、外にいたら?友達と地下でランチしてても終わりだし、職場も危険。
電車とかに乗っててもやばいのかな。
それより、マンションが崩れたらどうしよう。あぁ、考えただけでおかしくなりそう。
結局、そのとき自分が何をしているか、どこにいるかによる。やはり結局運だろうか。
大事な人たちには絶対に安全でいてほしい。どうか無事でいてほしい。
家族や恋人はもちろんだけど、ふと最近色々あって嫌いになった、とある友人の顔が浮かんだ。
彼女にも、無事でいてほしいと思う。会いたいとは思わないけど。
わたしの好きなひとも嫌いなひとも、わたしのことを好きなひとも嫌いなひとも、
どうでもいいひとも、どうか全員生きていてほしいと願う。
南海トラフとか、地震とか津波とか火事とか、そういうことの恐さを語るとき、それがいつ起きてもおかしくないことだと改めて実感したときに、わたしたちの悩みがいかに贅沢かを思い知る。
明日、全てが崩壊するかもしれない。死ぬかもしれない。あなたも、わたしも。
だからこそ、一日一日を大切にしないといけない。精一杯生きなきゃいけない。と、とても思う。
それなのに、そう決意したこともすぐに忘れてまただらだらと適当に過ごしてしまうのだろう。
まぁ、また思い出せばいい。そしてまた忘れる。それこそもすごく贅沢なことだ。
災害ついでに、夜道も怖いよねっていう話にもなった。
十代の頃とかは、深夜に一人で歩くことだって全然へっちゃらだったけど、今は違う。
おばけも怖いし、人はもっと怖い。
いきなり後ろから刺されたらどうしよう、連れ去られて拉致されたらどうしよう、とかいちいち不安になる。
もう二十代も後半に突入するからか、周りにも最近、心配性が増えた気がする。
それだけ、もう怖いもの知らずの子供ではなくて、大人になったということなのだろうか。
一人で夜道を歩くときは、絶対に誰かと電話する、と友人は言った。
「誰かと電話しながらスタスタ歩いてる女と、スマホいじりながらとぼとぼ歩いてる女、どっちを襲いやすいか考えてみたらわかるやん」と。
単純なわたしはさっそく今日、駐車場から家まで帰るほんの数十メートルを、誰かと電話しているふりをしながら歩いた。
「え、まじで?えー、それはやばいなぁ。うん。そうそうそう、やっぱり?おかしいと思ってん」
とか言いながら。結構楽しかった。ハマるかも。
誰かと電話しているふりをしながら、思いっきり愚痴るといいかも。新しいストレス発散方を発見した。
最後に、
「地球ってさ、だれかがつくって、だれかがずっとわたしたちのことを見ていると思う」
という友人の発想に、わたしは強く共感した。
地球が生まれる前にも、地球みたいなのがあって、人間みたいなのが、わたし達みたいに笑ったり悩んだりしながら生きていた。
で、ものすごい年月が経って、太陽か太陽的な何かがその星を飲み込んだ。
それからまたしばらくして地球ができて、ホモサピエンスができて、今のこの世界に至る。
そう考えると、なんか宇宙って普通に考えて、普通にヤバイ。宇宙、マジでヤバイ。
やっぱりわたしたちの悩みって、すっごくちっぽけだ。だからもう悩んだり考えたりするのはやめよう。
だが、わたしたちは今日も悩む。
そういう普段しないような話をしすぎたせいか、なんかすごい変な気持ちになって、家に着いた後もなんとなく気持ちが落ち着かなかったから、こうして文章にしてみた。
おやすみなさい。明日もみんなが生きていますように。