オス。
俺の父ちゃんは昭和7年生まれ。
戦時のときも経験している。
身近に機銃掃射受けたのも数度。
父ちゃんが受けていたら、俺は生まれていなかった。

よかった、と思うと同時にゼレンスキー大統領も尊敬している。

とにかく戦争は止めて欲しい・・・

 

 

 

「昭和17年4月18日。」から話は始まった。(何も見ずに記憶だけ。)


昭和17年4月18日。
アメリカ艦隊航空母艦1含む艦隊及び戦闘機(20機弱、18機の記憶…)ドーリットル空襲。
昭和16年12月8日真珠湾攻撃の報復。
艦隊は戦闘機を飛ばす。
日本軍は情報錯綜のため捕捉出来ず、アメリカ戦闘機は東京から埼玉まで爆撃し中国大陸・シベリアへ逃避。
東京への第一回空襲終了。
昭和19年8月、日本軍サイパン陥落。テニヤン島も同じく。
アメリカ軍、B29の飛行場建設。(日本軍の飛行場は規模小だったので、B29用に整備)
11月よりB29飛行可能となる。
当初はB29の高度高し。爆弾命中率悪し。編隊も組んでいなかった。
12月、昭和20年1月2月より、空襲激しくなり編隊で飛来。
昭和20年3月10日までは夜間の空襲は少。(昼間は多し) 。
3月10日、大規模の空襲警報発令。
(明治38年3月10日は日本の陸軍記念日、日露戦争に日本が奉天の戦いで大勝利)
新丸子より東京方面の真っ赤な炎がよく見えた。
数日後、釜屋堀国民学校1年先輩に偶然銭湯で3年ぶりで再会。
「凄かったよ、あらくの通り(下町の商店街)は死体でいっぱい」
(現在の江東区大島2丁目(亀戸南))
江東区(当時深川区と城東区)、墨田区(当時本所、向島)、台東区(当時下谷区、浅草)がほとんど。
昭和21年2月ぐらいより預金封鎖。
第一次封鎖。毎月定額は下ろせた。
第二次封鎖。出金不可。
生活保護ほど。
学校に寄付は出来る。
明日の金はない。
昭和26年吉田洋服店(知人より援助あり)再興。
後から考えると、夢千代日記のように、置屋を妾にやらせる(昭和17年より)。芸者の源氏名勝太郎。
亀戸の天神さんの裏。
昭和19年中学校入学。
子安の学校。
裏に山があり。海軍の兵隊が山にいた。作業服。
後で考えると、海軍の兵隊が乗る船がなかった。
日本軍は発表していなかったが、おかしいなと感じた。(日本が負けているのでは?)
疎開していたときに、
警察、消防、市役所の周りを取っ払い、役所を守る。
道路を造る。消防車が動ける場所を確保した。
労働要員になり綺麗にした。
空襲に備えて役所の周りが焼けるのに備えていたのか。
道路整備につるはしを振るう。昭和19年(中学1年)の8月から9月より。
サイパンの戦争が始まったのは6月か7月かららしい。
授業無し。
昭和19年の11月3日。明治節。雨が降り、変だなーと思う。
(特異日、雨の降らない日。)
その前後より空襲がだんだん激しくなった。
金沢八景から東南に見て、(海に見て南側に追浜(現在は日産の自動車試験場らしい)の飛行場あり。零戦の訓練あり。)
明治憲法発祥の地、夏島(になってるけど、本当は金沢八景の東屋で草案を作ったが、金子賢太郎が草案が入った鞄を盗まれて、金目のものだけ取られてどぶに捨てられた)の先に横須賀軍港あり。
あるとき、航空母艦が横須賀軍港から北へ。左に傾いたまま北の東京へ(桜木町のドックへではないか。損傷を負っていた可能性大)。昭和18,9年。
まだ、日本軍が勝った勝ったと言っていたとき。
金沢八景の隣の家、昭和17年4月18日引っ越し。奥さんが綺麗。赤ん坊を抱っこしていた、旦那さんが戦死したとの情報。家に行くと海軍士官の軍刀あり。
ミッドウェーで戦死か。すぐ引っ越して不明。
葬式はやらず。分かっていたが。
追浜で、同級生から、大和か武蔵を見たとの発言。当時は軍国少年だったので、「馬鹿野郎、てめえ、そんなこと言うんじゃねえ。」(スパイか?みんな知ってるが敵にバレルとまずいだろう!)
10万人死んだが、そこに入ることは出来なかった。燃えたのは知っている。店が燃えたのも知っているが。どこがどう燃えたのか分からなかった。みんな真っ赤に燃え上っていた。
東京大空襲については、東部軍管区情報の警戒警報発令。事後報告発表はなし。天気予報と同じ感じ。毎日毎晩、東部軍管区情報発令。
機銃掃射。
昭和20年の4月か。毎日が空襲だ。
戦闘機、2機来て、アメリカ軍を追った日本軍かと思ったら、2機ともアメリカ軍だったかも。
身近に機銃掃射を受けたのは数回。
焼けた辺りでは、人体は頭も全て小さくなっていた。焼けた人の体はかなり縮む。
周りは音がない感じ。
消防署も焼けていて、消防車も焼けていた。
報道では、戦後70年、東京大空襲がありましたとやっている。
こっちは我が家が焼けたのは見ていない。

 

我が家の語り部より。

 

俺は平和な時代にのうのうと生きているらしい。


月夜に吠えるウルフマンより。

んでは。