2019.1/6
自宅にて母が亡くなりました。
(十二指腸癌、膵臓転移と肝臓多発性転移。
ステージ4でした。
死因は急性心不全と言われました)



前の日の夜
おやすみ、また明日ね。って
お部屋まで一緒に行って
布団をかけた。 

それが最後になっちゃったね。




朝起きて、あれー?まだ起きてないなー
なんて。

マイペースな私。

お薬も飲ませなきゃー
ご飯食べてーって起こしに母の寝室へ。



視力悪い私はメガネもしないまま
起こしに行ったもんだから

寝てるんだと思って


30秒位は起こし続けてた




なかなか起きなくて
どんだけ眠りふかいのーって。


おかぁーごはん食べてーって。
薬も飲んでないよーって。




ん?あれ?
流石におかしい???


ほっぺポンポンしたら冷たくて。




気がついたらお母さんにしがみついてた。


あんなに身体の力が抜ける感覚
もうきっとないよね、、。



すぐ救急車を呼んで
救急車がつくまで心臓マッサージして。


その時の記憶はほとんどない。


パニックってた。相当。




病院について蘇生措置
病院の人たち30分くらい頑張ってくれたけど

お母さんが起きてはくれなくて。




自宅で亡くなったから
警察の人たちが病院に来て。
鑑識の人たちも来て自宅に戻って。

私は第一発見者であり。



バタバタでお母さんの側にいれなくて。




そうこうしてる間に母の姉も到着して。


お母さんに会うなり「起きて」って。
その場面は今もすごく覚えてる。





そこから納棺、葬儀まで
ほんっとにバタバタバタバタ。





喪主をちゃんとこなさなきゃ
って思ってあんまり葬儀の間は
泣いてもなかったな、、。




葬儀も終わり少し時間ができたら

もうフラッシュバックで。




寝る前にお母さんとのことが
走馬灯のように頭ん中クルクルクルクル。


寝れなくなって
泣いて泣いて。

どうして良いか分からなくなって
お母さんの部屋に行って


しゃがみこんで子供みたいに泣き叫んだり。




でも周りの人に支えられて

笑わなきゃ、、。
乗り越えなきゃ。。


前向きに少しずつなれて。


でも可愛そうとか、大変だったね
って言われるのも思われるのも嫌だった



だから少し無理もして笑ってみたり。




そうこうしてる間にもう4月になって
100カ日。



あっという間すぎたなー。





亡くなる前、前兆もなく。

苦しんだ様子もなく。

ほんとに安らかに眠ったままで。



ただ、それだけでも
ほんとにほんとによかった。





たまたま亡くなった日がね
旧暦で見たらお母さんの誕生日で。



選んでいったのかなーなんて。





葬儀に参列してくれた方みんなが


今にも起きそう
綺麗

って。



良かったね、お母さん。



あんなに怒ってごめんね。

あんなに怒らなきゃよかった。


あんなに一緒にいたのに
もっと一緒にいたかったね。



嫌いになりそうって思った時もあったけど

やっぱりこんなにお母さんが大好きだよ。


この世で一番大切な人だったよ。



こんなに友達みたいな親子いるのかねって
思えるくらいのお母さんが

弱音もほとんどはかず
いつもニコニコなお母さん。

友達も強い強い言ってたけど
あたしもそう思う。


あたしもお母さんみたいに
強くなれるかなぁ。




もっともっと色んな話もしたかった。

これから
しんどい時側にいてほしい。
話を聞いてほしい。
背中を押してほしい。




ただ、会いたい。






お母さん、大好きだよ。愛してる。






54年間お疲れでした。
私のお母さんになってくれてありがとう。
お母さんの子に産んでくれてありがとう。

来世でも親子で頼むね。

少し早いけどゆっくり休んでね。

これからもずっと側にいてね。
ちゃんと見守っててね。

お母さんみたいになれるように
私も頑張るからね。





内容ぐちゃぐちゃになり
申し訳ありません。


お母さんのことを書けるくらいの
気持ちの余裕もなくで。。



亡くなるまでのことは、
少しずつさかのぼり
書いていきたいと思います。