「熱愛」椛
家が燃えていた。
住人の煙草の火の不始末が原因だったらしい。幸い私は近所のスーパーに買い物に行っていたので無事だったが、マンションは復旧作業が行われることになり、私はしばらく友達の雪の家に居候することになった。
「お邪魔します~! しばらくお世話になります!」
「どうぞ~! 家が火事なんてほんと災難だったね……。まあ狭いけど駅は近いし、自分の部屋だと思ってくつろいでね。」
「本当にありがとう! 感謝です!」
ということで雪の家で暮らし始めてから一週間が経ったころ、私と同じ年くらいの男の人とエレベーターが同じになった。すごく整った顔をしていたわけではなかったけれど、優しそうな顔の男の人で私はその人にいわゆる一目惚れというやつをしてしまったのだ。
雪の家についてドアを開けるなり、
「エレベーターですごい私好みの男の人と一緒になったんだけど誰か知ってる⁉ 四階から乗って来たから多分四階の人だと思うんだけど。」
と雪に聞いてみた。
「四階? 誰かいたっけ……?」
「優しそうな顔の人! 年は私たちと同じくらいで身長は百八十センチあるかないかくらいで。」
「あ~、生田さんのこと? 確かに七乃華が好きそうな顔してるね。」
「生田さんっていうんだ! 下の名前分かる⁉」
「多分そうすけだったと思う。草原の草に芥川龍之介の介で草介。」
「名前まで素敵……! 次エレベーター一緒になったら絶対声掛ける!」
「そんなにタイプだったなら早いとこ七乃華に紹介すればよかった。」
「ほんとだよ~! とりあえずしばらくは今日と同じくらいの時間に帰ってさりげなく一緒になるのを狙う。」
「私も七乃華と草介さんが出会えるように願っとくよ。」
「ありがと~!」
それから一週間後、やっとその日がやって来た。
仕事を終え、雪に頼まれていた買い物を終えてマンションに着いた私はエレベーターの前に誰かが立っているのを見た。あの後ろ姿はまさか……! という気持ちを抱きつつ、平常心を装ってエレベーターの方に向かった。運良くエレベーターが来るまでにもう少し時間がかかりそうだったので、あくまでも自然に隣に立ち、
「前もエレベーター一緒になりましたよね?」
と声をかけてみた。覚えてなくてもいいよ、今日で覚えさせてみせるから! という気持ちだったのだが、
「あぁ、なりましたね! 見たことない人だなと思ってたんですよ。最近引っ越してきたんですか?」
と言われて驚いた。一週間前に一回だけエレベーターが一緒になった女のことを覚えてるなんてこの人はいったい何者なんだ? と思いながら、
「あ~、違うんです。家が火事になっちゃって。知りませんか、鈴ヶ森駅の近くの。」
「知ってます! 自分あの駅が勤務先の最寄りなんで。」
「え、ほんとですか⁉ 私もそうなんです!」
「ここからそんなに遠くないし、乗り換えなくて行きやすいですよね。」
「そうなんですよ。だからここに住んでる友達にしばらく泊めてほしいって声掛けて。」
「そういうことだったんですね。お友達何階の子なんですか?」
「六階の中川雪って分かります?」
「あー、あのボブカットの子ですか?」
「そうです! 今その子の家に居候させてもらってて。」「そうなんですね。これも何かの縁ですし、よければお名前聞いてもいいですか?」
と、運が悪いことにここでエレベーターが来てしまったのだが、草介さん(だよねこの人?)が乗り込もうとしなかったのでどうしたんだ? と思って、
「乗らないんですか?」
と聞くと、
「まだ名前聞いてないので。」
というこの人私を落とす気だろうという返答が返ってきたので、私は素直にこの人に落ちることにした。
「初瀬七乃華です。そちらは?」
「僕は生田草介と言います。はつせって珍しい名字ですね。どんな漢字書くんですか?」
「最初の初に瀬戸物の瀬です。」
と答えるとなぜか笑い出して、なになにこの人サイコパス⁉ と思ったら、
「ごめんなんか説明の仕方が面白くて。」
はー面白い今日イチ笑ったわーと何が面白かったんだろうと疑問になるところで本当に楽しそうにしている草介さんを見たら自分もなんだか面白くなってきて、二人してエレベーターの前で笑い転げてしまった。
ひとしきり笑った後で我に返って、名前聞いて爆笑しただけじゃ次に繋がらない! せめて連絡先は聞かないと! と思い、
「あの、よかったら連絡先聞いてもいいですか?」と聞いてみたら、
「もちろんです。ラインでいいですか?」
との返事だったので、私は無事に草介さんとの繋がりを持つことが出来た。
雪の部屋に着いてさっき合ったことをテンション高く報告しているとスマホにメッセージが届いて、もしかして草介さん⁉ と期待してホーム画面を見てみると、案の定草介さんで、
「なになに草介さん? なんて来たの?」
「今日は楽しかったです。時間が合えばまた一緒に仕事行きましょうだって。」
「どういうこと? そんなとこまで進展したの?」
「偶然仕事場の最寄り駅が一緒だったの。びっくりだよね。」
「なるほどね、それはすごい。絶対これ脈アリだよ。」
「さすがにこれはちょっと調子乗ってもいいよね。」
「これで七乃華のこと何も思ってなかったらだいぶやばい男だよ草介さん。それで返信どうするの?」
「とりあえず《ぜひ!》で行く。ちょっとお風呂行ってくるから返信来たら教えてね。」
「お風呂入ってちゃ返信できないじゃん。」
「気持ちの問題だよ。」
こうして私と草介さんは順調にラインを重ね、ついに一緒に出勤することが出来たのだ。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします!」
「おはよう。なんか運動部の部活のノリだけど、七乃華ちゃん学生時代運動部だった?」
「やっぱり癖って抜けないもんですね。超絶スパルタバドミントン部に入ってました。」
「あー、何かすごいそれっぽいわ。」
「本当ですか? 電車の時間そろそろですしホーム行きましょうか。」
「本当だ。行こうか。」
道中も楽しくお話しして、いつもはすごく長く感じるのに今日はあっという間に駅に着いて、
「草介さん出口どこですか?」
「中央口だよ。七乃華ちゃんは?」
「私は西口です。」
「じゃあここで。また今度はご飯でも行こうね。」
「ぜひ。」
それからご飯に行く約束も達成し、デートの定番スポット水族館にも行き、順調に付き合うまでの工程を重ね、気付けば草介さんと初めて出会ってから三ヶ月が経っていた。
そろそろ告白されるんじゃないの? と雪にずっと言われ続けて、でもなかなか告白の雰囲気がなくて、そろそろ不安になってきたころ、行きたいご飯屋さんがあるんだけど一緒に行かない? というお誘いが来た。よっしゃこれは大チャンス! 告白する気がなくてもさせたいと思えるような女で行こうと服もメイクもヘアセットもさりげなく、でもめちゃくちゃ気合い入れて集合場所に向かったら、そこで待っていたのは車に乗った草介さんで、なになに草介さん車持ってたの? ていうか免許持ってたの? と驚きながら車に近づいていくと、運転席の窓がするする下がって、草介さんの顔が出てきて
「助手席乗って。」
と言われたので素直に助手席に乗り込むと、後部座席からおもむろに花束を取り出してきて、
「言うのが遅くなって本当に申し訳ないんだけど、七乃華ちゃんさえよければ僕と付き合ってくれないかな。」
と全女子が憧れであろうシチュエーションで告白してきてくれた。
めちゃくちゃ顔がタイプな男にこんな告白されて断る選択肢はあるのでしょうか、当たり前にないですよね。
ということで返事はもちろん、
「はい、こちらこそよろしくお願いします。ていうか、その花見たことあるんですけどなんていう花でしたっけ?」
「ホウセンカだよ。小学校とか育てなかった?」
「育てましたけど……。それを告白に使います?」
「懐かしいなと思って。」
あれ? もしかしなくても草介さんちょっと不思議な人?
ということで晴れて恋人同士になった私たちですが、そのすぐ後に火事になった私のマンションの復旧作業が終わり、それに伴って雪の家を出て自分の家に戻ることになり、草介さんと会える回数がすごく減ってしまった。
出会ってから三ヶ月ちょっと、付き合う前に雪の家に居候させてもらっていた時は気軽に草介さんの家も行けたし、一緒に仕事にも行けたからむしろ付き合う前の方が会えてたんじゃない? と思うほど会えなくなってしまった。
《草介さん今日お家行ってもいいですか?》
《ごめんね今日は残業で帰るの遅くなりそうで……。》
という会話を何度か繰り返し、ついに私は、もう一度家が火事になれば草介さんとたくさん会うことが出来る! ということを思いついた。今から考えれば同棲する家を探すとか他にも色々方法はあったのだけれど、その時の私は草介さんが好きで好きで、何かを深く考えるとか、周りを見るということが出来なかったのだ。
私は家のガスコンロをつけたまま、草介さんの所に向かった。草介さんの家で楽しい時間を過ごした後、家に帰ってみると、
家が燃えていた。