〇番外編(主将をやって後悔しているか)
こんだけ主将のことを長々と語りましたが、夏秋田始まる前にゆうさんと飲みに連れてってもらった時に言われた事があります。

「主将になって後悔してる?他の人にやってもらえば良かったとかない?」

この質問に自分は即答出来ませんでした。なんならその日答えは出ませんでした。


あれ、俺って主将として何しただろう
何ができただろう
みんなにとっていい主将だったのかな

前主将がゆーたろーさんというみんなから愛される最高な主将だったからこそこういった気持ちになりました。


この答えが出たのがインカレ最終日自分が飛び終わった後です。記録的には大したことは無いのですが、陸に上がった時にみんながいて、みんなが迎えに来てくれて、多くの人と一緒に喜びあった。

あの日のことは鮮明に記憶にあります。
本当に鮮明に。

前日のジャンプを集計した段階で、たけるにもりじゅんが普通にやって立てれば団体2位入賞できる。逆に立てなきゃ団体表彰消える。だから絶対に立て。と言われました。

それ言われた瞬間怖すぎて普段そんなにしなかったジャンプの陸トレしました。ずっと。少しでも距離伸ばそう。絶対立とう。何回もイメトレして絶対俺がやってやると思いました。
周りからダサいとかどう思われてもいいけど結果だけは残そうと集中してずっとやりました。

ほんでこっからはいつもの俺です。
いつも通り出走ピットでおもちゃのリタが居たので遊んであげて、心を燃やして出走しました。

1パス目。
なんかすみません、出走したくらいから立てる気がしませんでした。キャパで立てたらいいなくらい。そんくらい膝が震えてきたんです、、スラでしくってたからこそここでやらなきゃという思いが強すぎてかなり緊張しましたね、、、
さすがに立たなきゃみんなに合わせる顔が無いと、2パス目で絶対に立てるようにあまあまで入りました。距離はしょぼいですけど、これで2位は確定です。

そしたらもうあとは星になるだけ✨


ゆーたろーさんゆいとさん達が陸で2詰めて!!!って叫んでくれてこの指導貰えるのも最後かぁとか、ボートのかしりなさん達がいいジャンプ!もっと飛べるでしょ!!!とか盛り上げてくれて横からは同期後輩OB達からの歓声。スラの時は耳に入ってこなかったけど、今は鮮明に聞こえる。俺のための俺の時間だ。と、
フィーバータイムに入ってました。

1度切って、最後の3パス目がスタートしました。
指導通り2詰めようと本気で詰めようと心の中で言い聞かせてちゃんとピッタリ2詰めました。(ちょいチキって1.75くらいだったかも、、、🤫)

たけるとCS1前に詰め練を二人でした成果がここで発揮されました。
「あ、これカットチキったら死ぬ。」
「最後切りきったら入れるぞきちゃー!!!」

こういう感情だったと思います。
この時捲れるとか、エプロンとかほんとに一切頭に無かったんです。あ、行けるって思ったんです。

立てた瞬間ボートの競技役員の方々が立って喜んでくれて︎👍🏻 ̖́-ってやってくれて、おー俺そんな飛んだのかって実感して、旋回して陸に戻る時みんなをみたらすんごいイゾイゾしてくれてて


あ、この瞬間にジャンプ団体で全国2位が決まったんだって思いました。

人生で初めての全国2位。
たけるはよく1位かそれ以外。
まさは2位は敗者の中での1位とか
色んなこと言ってたけど、俺は想定立てた時にMAX想定で3位、現実想定で4位。
これをわかっていたからこそ嬉しかった。

その喜びをみんなが迎えに来てくれてわかちあった。



みんなが俺を見てた。泣いてる人も多くいた。
あー、俺こんないいチーム作れたんやあって



1年生の時に立てた4年間の目標で最後のパスでバカ飛んで全員バカみたいに泣かせるっていう目標が少しは達成できた気がして本当に嬉しかった。
正直もっとジャンプやりたかったなと4年間通してジャンプもスラもトリックも全部出たかったし全部もっと記録出したかったなーと後悔。


その後の写真撮影の時も、あえてその人のために名前は伏せるけど、俺が部を離れるのが悲しいって泣いてくれる人もいた笑
さすがにめちゃくちゃかわいかったなぁ感動したありがとう

あ、俺ってそんな影響力のある人間だったのかってその時感じた。
ここでやっとやり切った感を出せてその時この代の主将やれて良かった。この代の主将は俺だったんやって思いました。みんなの支え合ってこそです。ありがとう。


これを読んでるか読んでないかはわからんけど、俺の親は、俺が今まで後輩と仲良くやってる姿なんて見た事無かったと思うし、昔っから先輩っ子だったから、こんな自分が後輩達と一緒に本気で喜びをわかちあう、なんて姿想像できなかったなあ


引退した今となっては、かわいいかわいい後輩ちゃん達との飲みが楽しくて仕方ないっすね💕︎
(俺はどっかのひょろがりみたいに人を選ばないのでみんな飲もー!笑)
これを書いてる今も後輩ちゃんとの飲みが決まったし、引退ライフが楽しくてしょうがない!!!



以上番外編(主将やって後悔しているか)でした!
心残りはたくさんあるけどみんなの主将やれて後悔は無いです!ありがとう!!!

続いて箸休めを挟んで、第3章に突入します。笑
長くてすみません。
最後くらい語らせてください。ほんとは1年目からずっと語りたいのですが、恥ずかしいことも多いので、知りたい人は個人的に聞いてください。
(1年新人戦耶馬溪での人生最大のイジメ事件や2年の股関節後方脱臼事件など)





第3章
〇この部活で得れたもの

この部活で得れたものは、計り知れないです。

1個目として自分から何度も言うのは恥ずかしいですが、「後輩達からの信頼」はやはりでかかったですね。
じゃあなんで信頼を獲得することができたのか。

・主将だから?
たしかにそれもあるかもです。1番前に立つ人でもあるから必然とみんなの前で喋ることも多かったし、勝手にしっかりしてるイメージをつけちゃったかもしれません^_^
(実際はそんなことないってことに最近ようやく自分で気づきました笑)
まあということで違う気がします。



信頼を獲得出来た要因として、自分は「話すこと」よりも「話を聞くこと」に徹したことだと思います。
これは「リーダーシップのベストセラー100冊のポイント1冊にまとめてみた」で収録されていたポイントです。

評価や結論を後回しにし、相手の思いや背景を丁寧に理解しようと努めたことで、信頼関係が深まり、本音を引き出す場づくりに成功したと思ってます。

1人1人全員に話を聞くことは出来なかったけれども、話してみないと相手の本質ってわからないし、相手を理解した上で仕事振るのと振らないとじゃ全然違うなって思いました。

その時に気をつけてたのが、まずは「責めないこと」そして、「いい所を見つける」こと。この2つを徹底して、色んな人と話したなー。
長々と話す必要は無いんです。ちょっとでも話すことで相手の気持ちが楽になったり、少しでもこのコミュニティが楽しいって思ってくれたら俺は満足でした。
だから何度も言うけど最後の1年間俺は本当に楽しかった。
引退した今も超楽しい。みんなもっと語ろう!

だからみんなも強制では無いけど、話すの苦手な人も聞くことなら出来ると思うから、困ってる人がいたり、何考えてんのかわっかんない!って言う人こそ喋ると意外とその人に対する見方だったり、価値観変わったりするので是非実践してみてください。

一生涯の仲間ができるかもしれません。


そしてこの部活で得られたものは、即レス文化かなと思ってます。

今までの自分はLINEとかめっちゃ溜めがちで、100件以上とか余裕で、仕事とか後回しにしちゃうタイプでした。けど、主将になったラストイヤーはこの自分を変えようと、みんなのLINEは即レスで返して問題解決や話を聞くことに徹して、OBOGさんのLINEもまずはすぐに返すことを徹底したと思います。

そうした事でどんなに忙しくてもタスクも溜まりづらくなり、自分の中でも余裕が生まれ、俯瞰して部を見る時間が取れたのがデカかったですね。

社会人になっても即レス即レスして優秀な部下ぞろぞろ引き連れられるようになります🔥


みんなもここだけは俺見習って即レスやってみてねー!
やってる側もやられてる側も絶対効率的だし楽だから!

頑張れよ。






最後に戒めとしてこのことを書かせてください。


第4章
◯なぜ優勝できなかったか。

このことについて引退してからよく考えてました。
たけるまさとうごは、1年の頃から爆発的に上手かったし、優勝という順位をずっと考えてた4年間。

たしかに1年からもっと練習しておけば、、、って思うかもですが今回は一旦置いといてラストイヤーに焦点を当てて考えてみます。


・なぜ優勝できなかったのか。
それは、自分たちで自分たちの「弱さ」を認めようとしなかったからだという俺は思います。

ゆうたろうさん達があと一歩で成し遂げれなかった優勝という目標

優勝したい、と思い続けた1年でしたが、

同時に優勝が遠い、とも思い続けた1年


みんな一人一人が優勝に近づけるように本気で取り組んでいた。それは事実


自分たちならできる
と、言い聞かせながら練習する日々


俺たちの根拠のない自信が良くない方に行っちゃった


強くなるために、
「小さな成功体験を積む」
「ゴールから逆算する」
「目標、目的を適宜メンバー間で共有する」


いつも言われてたことなのに、なんで出来なかったんだろう
悔しさだけが残る。



俺たちのチームは結果こそ残せなかったけども、去年よりも「アツい」チームを作れたと俺は思ってる。
こんな1-4年で仲良いチームないで笑

ただ、仲良いだけで終わらせずもっと話す機会作って、面と向き合って話し合うべきだった。
これこそ自分たちの弱さからの逃げだと思った。



強い人は自分の弱い所を出せる。




俺はこれからの現役に託す。
これからの現役に俺たちよりもいいチームを作ってほしい

だからこそ今の現役達には、本当に沢山話し合ってほしい。

話すために普段から話しやすい雰囲気作り(否定をせずに褒め合い、感謝を伝えるなど)にみんなが全員それぞれ頑張って欲しい。大丈夫みんななら出来る。

そしてたくさん喧嘩して欲しい。
裏じゃなくて面と向かって。

なんでこの目標じゃなきゃ行けないのか。
みんなが、納得するまで話し合って欲しい。
話し合って、納得して終わりじゃなくて、定期的に。
1度決めた目標は再調整したって構わない。


その度にみんなが納得してその目標に全力に取り組めれるなら。


そしたら必然と練習計画など出てくるから
俺たち同期は今年で引退だけど、みんなの先輩である事は変わらないし、いつでも頼って欲しいって思ってるよ
普段は口下手だけどみんないいやつやねん。笑

頑張れ。







最近ほぼ毎日のように会ってる同期。
会ってる時は面と向かって言わないし、こゆ場でしか言えないことをまとめて伝えます。



最終章 感謝

〇同期へ

・しゅうたろう
うん、色々あったな。まずは、1年の時ジャンプで心折らせたみたいになってごめん笑
ほんとにさー、好きやねんそゆの。自分の上にいる人をぐいんって追い抜かすの。まあラストイヤーはしゅうたろうの方が断然上手かったよ。それだけは認めるわ笑まあインカレ勝っちゃったけどねがはははは(イコラブ野口衣織の笑い方)

色々あったと言えば、やっぱ今年の3.4月よな。
お互いほんとに辛かったと思うし支えてあげれなくてごめん。今でもしゅうたろうが部活復帰する時にLINEしたアツい内容覚えてる。絶対世には出せないけど、俺たちは絶対に間違ってないと思うで笑笑笑
お互いラストイヤー頑張りましたありがとう。
p.s.たけるが1位で浮かれてたから抜かしてやったわ。ホンモノの最強は俺だって言ってたよ




・もも
もももね、色々話したね笑
っていうかめっちゃギスギスした時期何回もあったよなー。けどその度にめっちゃ話す仲になったり色々相談とかも聞いてた気がする。衝撃的なことも多々あったけど、ほんとに4年間女子一人で頑張ったね。ていうか、強くなったね。ももが1番成長したからこそラストイヤー同期全員で泣いて笑って抱き合えたんだと思う。
こんな男臭い男子7人についてきてくれて、支えてくれてありがとう。
ももいなかったらラストイヤーおれたち死んでました。確実に。
嫌かもしれないけど1回くらい同期で飲み行こうや笑






・たきた
たきた。
俺たちが3年の頃たきたが怪我して俺は何度泣いたか。あそこから涙腺崩壊した気がする。毎日泣いてたわ。
たきたって最初は変なやつとしか思ってなかったし、今もそこは変わりないんだけども、水上スキー部生粋のアツい男で、特にラストイヤーは、二人でローソンの前で話した時。本音で語り合ったねえ。あれは久しぶりに泣いたわ。
そんなたきたが最後のインカレ往復完走して努力が報われて本当に良かった。卒業頑張ろうな。





・とうご
やっぱお前たちに書きたくねぇよ。そんくらい色々あったわ。てか同期意外と多いわ。
まずはスラチーフありがとう。どっから書けばいいかわからんし、お前とは色々ありすぎた。
悔しいけど、1番スラ頑張ってたと思う。俺よりも知識多いし、指導上手いし、みんなとうご指導求めるから嫉妬してたけど、たしかに俺指導上手く無いから仕方なく負け認めてたけど、最後もインカレ負けるし思い出したくも無いけど、俺ら頑張ったよなあ。ほんとに。
機材管理もさ、とうごに任せっぱなしでほんとにごめんな。1番きつい仕事ずっと振ってたと思う。とうごも分かんないことだらけだったと思うのに1番怒られたり1番詰められたり、嫌われ役買ってまで俺達のこと守ってくれたり本当にありがとう。
それでも1番キツかったのは4年海外だよなきっと。
あのミーティングおれは一生忘れないよ。ほんとにほんとにキツかったと思う。それでも辞めずに4年間やり切ったお前はえらい。ありがとう。
たまキャンで会う回数少ないけどまだまだたくさん遊ぼう。俺たち横浜やん




・たける
たけちゃん。本当に大好きだよ。
最後の海外一緒に行けて本当によかった。たけるとじゃなかったらずっと弱音吐いてただろうし、お互い切磋琢磨出来てたのがデカかったのかな。
たけるには、最後の夏まで色々やらかすせいで本当に振り回されて、ガチでキレた時も何回もあったけど、俺怒るの苦手すぎて多分怖くなかったよな。
俺お前のこと好きだから怒るのムズいねん。
最後の1年はたけると過ごした時間が長すぎた。プライベートでもなんでも。たけるといる時間が全てを忘れて楽しめてる時間だったと思う。
最近プライベートくそ充実してる感じ出してるけど、俺だって負けてないからな?たけるが1番の座を握ってるの普通に許せないから。俺やから俺が1番だから!最後の最後まで諦めない俺見とけ。最終的に勝つのは俺や。




・ゆうや
特にないかな。ありがとう。
1番本音で話した仲だとは思ってる。1年の頃からずっと一緒で、俺ら最初はまとも枠として頑張ったよね。最後もか。
この癖強同期まとめるの大変やったけど、唯一本音で話せられたかな。一時期まじで話さない時期あったけど、いつの日からか毎日LINEしてるキモイやつらだったよな。あ、今もか。てか今まじで仲良すぎたろキモイわ。
君とは温泉でもいくらでも語ってるから特に書くことも無いんだけどさ、

ほんとにほんとにありがとう。




・まさ
まさ。ごめん。
ありがとうよりもごめんが勝つわ。俺がまさの良さをもっと引き出したかったんだけど自分に余裕無かった。
今でこそお互いを理解し合えてるから同期横一線なんでも話すけどさ、お互い自分の競技に集中しすぎたよな。
ほんで結局お互いインカレしくるし散々だったけど、まさは昨日も部室で陸トレ教えてたり、江戸川行ってたりほんとにえらい。俺にできないことを補ってくれる存在としてラストイヤー助かった。
ありがとう。
最後一緒に卒業して基礎演習のクラスで騒ごう。





と、同期には簡単に書こうと思って居ましたが後輩1人1人に書いてたらキリがないので、学年ごとに最後だし厳しめに書きます。個別でごめんね

・3年
頑張れ!!!!もっと支え合え!!このままだと俺達の二の舞になるぞ!!!
危機感持て!!!!ほんとにテーマピリオドでいいんか?
何回も言うけど主将は誰にでもできる。けど、主将を取り巻く同期が支えてこその話や!それは!
もっと自分から動け!自分のことだけ考えて1年間過ごしても楽しくないぞ!成長しないぞ。即レスしろ!!!!!
以上。





・2年
お前たちは猫かぶりすぎや。忠犬ネコチャンか!
このまま4年まで行ったら絶対不完全燃焼で終わるぞ。やるからには全力よ。
人の好き嫌いとか関係ないから!!!!腹割って話しなさい!難しいということはわかってる。それでもやるの!誰かが声出して思ってること全部面と向かって言うの!周りをもっと頼りなさい。俺が言うなって話やけど




・1年
楽しめー!自分に素直に!今ようやく生活リズムも慣れてきて、水上スキーと普通の生活が保ててると思う。やりたいことどんどん挑戦して、後悔のない4年間を過ごして欲しい!
頑張った人にはきっといいことあるよ!
しゅうたろうと遊んだらもっといいことあるかも!!!!
みんなしゅうたろうと一緒にプリクラ撮ってあげて!超絶喜ぶから!!!!!







・1番お世話になったゆたろーさん達の代の先輩方
(ゆーたろーさん昨日はありがとうございました乾杯)

5人が大好きすぎて、ずっとずっとゆうたろうさん達のことを追いかけて、上手くなって褒められたいというまるで承認欲求フラペチーノベンティサイズのような俺たちでしたが、ゆーたろーさん達が現役中も引退してからも
部活でもプライベートでも面倒を見てくれて本当にお兄ちゃん的存在であり、切磋琢磨成長しあったライバルであり、2人きりになったら彼女的存在?になってましたね。
5人がいたから、僕たちは最後まで続けられたし、あなた達に受けた恩がデカすぎて、恩返ししたいという気持ちは今でも忘れません。
このコミュニティが大好きです。これからはOB横一線一緒に現役応援しましょう







○先輩方、コーチ陣へ
4年間本当にありがとうございました。
僕たちの代は自分含め問題児ばっかで手に負えないことも多々あったと思います。
それでも見捨てずに指導してくださったこと本当にありがとうございます。
主将前で1番衝撃的な指導といえば自分が2年の時にたくまさんのぶさんに旧合宿所の2階で8月前秋田のスラを選考会なしで切らされたこと笑
あん時は急すぎたし部のことよりも自分のことしか考えてなくて感情爆発しちゃいましたけど、今となっては心の底から感謝してます。あの時の選択がなければジャンプ伸びなかっただろうし、スラが本当に好きなんだなって再確認出来たし、ドラも上手くなろう!って思えたきっかけでしたし。。。。ほんとにほんとにあの時は勝手に滑ってすみませんでした笑



他にも、2週間に1回というハイペースでミーティングを開催していただきましたが自分たちの準備不足によりお見苦しい時間も多かったと思います。
今振り返ってやっと分かったのですが、当時報告することがない!ってずっと困ってましたが、きっとそれは練習段階から自分たち現役主導でやっちゃってるから報告することがわかんなくなってしまったんだと思います。最初から一緒に作り上げていくべきだったのかなと後悔はありますね、、はい。
しかし次の後輩たちはたくさんOBOGさんを頼っているところを拝見しているので、楽しみにしています。







最後の最後に、、、笑

○お父さん、お母さん

これを読んでるか読んでないかは分からないけど、22年間好きなことを好きなだけやらせてくれて本当にありがとう。

2年の股関節脱臼、選手生命どころか、人工関節になってこれからの自分の人生が大きく変わるかもしれない。そんな危機的な状況俺が親だったら部活辞めさせてたかもしれない。それでも2人は嫌々だけど許してくれた。一生ジャンプなんてやるな。なんて言われてたけど、ほんとに怖くてトラウマだったけど、克服して全国で入賞すること出来たよ。

特に最後のアメリカ合宿から夏秋田までの支援は計り知れないです。これから社会人になって頑張って返していきたいです。
本当にありがとう。





長くなりましたが、これでおしまいです。
たくさん書きました。自分の4年間を振り返ったいい機会だったなと思います。多くの方に支えられここまでこれました。本当に本当にありがとうございました。