周りも自分も許せるようになる~ディクシャの実感~
誰でも、これまでの人生で「あの人は許せない!」「あの言い方は許せない!」という思いをしてきているのではないでしょうか。それが大事なものごとや、大事な人がからめばなおさら強く。これまでわたしは、人の集まりの中で、ある人の物言いや考え方を聞いて、「いや、それは違うよ」とか「そういう言い方って許せないな」と思うことがありました。その場で言うことはありませんでした。一人になっても思い出して「許せないな」と思うこともありました。家族にいたっては、さらに強い思いで「それは違うよ」とか「なんでそうなの?」といった調子で批判的に考え「許せないわ」などと思っていました。と、思い出すと、いまや懐かしさすらあります。「人を許しましょう」とは、カウンセリングやスピ系ではよく言われることで全くその通りだと思いますが、だからといって、実践するのはそう簡単ではないと思います。すぐに、さまざまな思考が働き、許せないことを正当化してみたりして、結局は頭の中でぐるぐると考えてばかり。最後に、自分を嫌になってみたり。ということを繰り返してきましたが、その思考過程そのものがあまりにあたりまえになっていました。それが、ディクシャを受けると、信じられないことにそれらの思考が鎮まっていきました。静まっていくと他者の言動も気にならなくなっていきました。気にならなくなるのは、自分の頭の中にネガティブな考えが起きてこないからです。自分のなかであれこれ考えてしまう、言われてもいないこと、起きてもいないことを想像して、ネガティブに考えることがなくなりました。本当に驚いたことですが、ネガティブな思考は起きにくくなり、起きてもすぐに、そこから離れることができます。結果的に、何かへのこだわりはなくなります。ディクシャを受けることで、実際に自分自身がなにかをしなくても、思考が抑えられ、こだわりが自然と薄まり、頭の中が静かになっていくことが実感できます。これは、いままでにない経験でした。それに加え、教えを学び続け、瞑想を続けていくことでその状態を保ちやすくなり、理解としても必要以上に周囲に関心を持つことがなくなり、「許せない思い」から解放されました。「許せない」と思うことで、自分を不自由にしていますから、自分が解放されればもう他者は関係なく、どうぞご自由に、という気持ちになることができます。一気にそうなったわけではありませんが、いつのまにかそうなっていました。そのくらい自然に、徐々に、変化していったと言えると思います。変化も過程も一人ひとり違うと思います。わたしはそのように感じました。ディクシャ(Deeksha)は、古代インドに伝わる「聖なる意識の転写」で、マスターから弟子へと神聖な光を渡す儀式として大切に伝えられてきました。わたしたちが行っているのは「ハート・ディクシャ」です。それは数あるディクシャの中でも、最も高次のエネルギーを持つ形態です。ディクシャ・マスターが片手を自らのハートに、もう片手をあなたのハートの前にかざすことで、聖なる存在(ディヴァイン)の光があなたに流れ込み、意識の深い層に働きかけていきます。ディクシャについてはこちらから詳しくご覧いただけます↓↓↓公式LINEにご登録ください。ご登録の方にはマスターHARUさんのe-bookをプレゼントしています。登録はこちらから↓↓↓