今年は日本がハワイの真珠湾を攻撃を行ってから81年になります。

今回の日本海軍よもやま話 第21回目は、前回からの続きで「帰国したハワイのスパイ」についてです。

 

アリゾナ記念館にて

 

 

日本へ最後の打電後、吉川は普段通り官舎で朝食を摂っていました。

官舎で日本海軍の攻撃を知った吉川は、事の重大性を痛感し、警察が来るのは時間の問題であったので直ちに諜報活動で得た資料や電文コピーなどを庭で燃やました。

彼をスパイ容疑として逮捕したFBIの尋問は吉川に集中した為、領事館員の多くが彼の正体に感づいたそうです。

その後、総領事館全員アリゾナの収容所へ送られ、さらに激しい取り調べを受けましたが、証拠不十分で正体が発覚することはありませんでした。

領事館員達は野村吉三郎大使の働きで5ヵ月の抑留生活ののち、アメリカ在住民間人とともに戦時交換船グリップスホルム号で昭和17年8月に無事日本へ帰国しました。

帰国後、吉川は海軍軍令部に復帰し日本とアメリカの戦力を分析する仕事に就きましたが、東京大船捕虜収容所に赴き、捕虜からいろいろな情報を得る仕事をしていました。

この行動により戦後軍令部第五課(吉川を除く)の全員が戦犯となるのです。

吉川は日本へ帰国した翌年結婚しました。

戦況は年々悪化し、大本営は事実を隠し日本の勝利を宣伝し続けていましたが、アメリカ海軍の戦力を見抜いていた吉川は、日本有利と確信する軍令部員のなかで相手にされず孤立して行きました。

彼は軍令部出仕の辞職を提出しましたが、なかなか承認してもらえず昭和19年6月召集解除となり飛行機製造会社に就職し終戦を迎えました。

 

次回は戦後の吉川の生活とスパイの告白についてです。