多鈕細文鏡の呪力
天皇はどこから来たか (新潮文庫)/長部 日出雄 の中で
「古鏡」 小林 行雄著 の多紐細文鏡 たちゅうさいもんきょう の使い方の記述を
敬意を籠めた引用として紹介している。
こういうふうに考えてくると、私には、弥生時代の日本人が、多鈕細文鏡をどのように
使用したかということが、ほぼ想像できるように思われる。
すなわち、まず紐が鏡の中心からかたよった位置に二個あるから、
紐をとおしてさげると、鏡の表面は、だいたい垂直近くなる。
その榊の枝にとりつけて、一人の女性が人々の前に姿をあらわしたとしよう。
それは、よく晴れた日でなくてはならない。
待ちかまえた人々は、おそるおそる巫女の姿をあおぎ見、つぎに鏡に眼をうつしたことであろう。
その時、巫女が榊の枝を静かに動かすと、一瞬に、鏡の面に反射された太陽のまばゆい光輝が、
人々の眼を射る。
はっと驚いた人々は、眼を閉じて平伏したであろう。
しかし、眼をとじてみても、開いてみても、網膜に焼きつけられた太陽の残像は、
あるいは緑に、あるいは紫に変化して、もう一度、いま見たものをたしかめようとしても、
ただ不思議な色彩が見えるばかりであったろう。
ようやく時間がたって、あたりの光景を、ふつうの状態に見ることができるようになった時には、
巫女の姿は鏡とともに消えている。
こうして人々は、巫女が太陽を自由にするほどの呪力をそなえていることを、
確信したにちがいない。太陽を支配するとは考えなかったとしても、人々が太陽にたいして、
稲の育成をすこやかにするように、十分な日照りをあたえてほしいと願う時には、
その願いを太陽につたえてくれるだけの能力を、この巫女がもっていることは、
信じえたと思うのである。
斎王の女神は、みずから身につけた鏡で陽光を眩しく反射させることによって、
太陽と一体化する。
なるほど、 多鈕細文鏡はこうした使い方をしたのかと。
太陽神は同時に穀霊神でもあった。
斎王の女神が祭祀と呪術、男王が政治と軍事を司る。聖俗二重体制。
先祖から知っている部族がいくら鏡で太陽神といっても、信じないかも
しれないが、遠いところから来た一族であれば、話は違ってくる ...
それで、

