金融工学が数字を抽象化しすぎて量の概念を見失った
教育論にまで展開されていくところが面白い。
『from 911/USAレポート』第378回
「文明の裂け目」
http://ryumurakami.jmm.co.jp/
人種のステレオタイプ的な言い方になりますが、私は数学に強いインド系の人は、
今回の「マイナス」という「量の概念」にはどうにも耐えられなかったのではない
か? ・・・
勿論、正気なのはインド系の人の方で、放心して思考停止に陥っているアングロ
サクソン系の方がずっと病んでいるとも言えるのかもしれませんが。
金融工学が数字を抽象化しすぎて量の概念を見失った
・・・
そう考えると、論理の飛躍を口舌でごまかしてきた米英発の「金融工学」が文明と
して行き詰まっている中で、日本の「かつてあった」教育システムはやはり再評価し
なくてはならないのではないか、そんな風にも思わされるのです。
・・・
これに対して、日本の(かつての)教育素ステムは違います。カリキュラムは退
屈、入試問題はひねくれ、教師は意地悪という中で、学生は「コンチクショウ」とい
う思いを抱きながら数学や物理を学ぶのです。ですが、そうした一見すると非効率な
教育システムの中で、学生は鍛えられ、論理の飛躍や欠点を徹底的に叩かれるので
す。そして、ある種の反骨精神が後押しする中で、誰にも依存することのない、非常
に高いモチベーションを獲得する人間が出てきます。教師も社会も「クソクラエ」だ
が、自分は「科学的真理」には絶対に迫ってみせるという気迫、一種変わり者と思わ
れても動じない肝の据わった専門意識、そうした人材が育っていったのです。