カテリーナ・スフォルツァ | 旅行、美術館、書評

カテリーナ・スフォルツァ



ダヴィンチ 受胎告知




ミラノを獲ったあと、ルイ12世はフランスにもどる。
チェーザレは小国分立し教会に年貢を収めていないロマーニャ地方に向かう。

実際の初陣はフォルリ、カテリーナの領国の首都。

その夜と次の日の一日中、チェーザレは、
カテリーナを連れて自室に引きこもってしまった。
世論は沸騰した。
自由を持たない高貴な女性に対する侮辱行為だと言うのである。
しかしチェーザレは、自分の欲することをしただけだった。
この最も女らしい魅力にあふれた美しいアマゾンに、
自分の初陣の戦利品として、
それにふさわしい待遇を与えたにすぎない。P102

塩野氏の力強い声が聞こえるかのような。

カテリーナ・スフォルツァは美しく、そして、まさに女傑であったようですが、
ロレンツォ・ディ・クレディ が描いたカテリーナの肖像画の顔が
「モナリザ」と似ていると研究者が指摘しているとか。

このクレディの「受胎告知」 がダヴィンチのものと似ている。
これは小さな作品で、描かれた年からするとダヴィンチ作が古いようですが、
どうもダヴィンチの「受胎告知」はよくわからない。
 *1 現在ではロレンツォ・ディ・クレディ が描いた? とされる「受胎告知」が
   ダヴィンチ作だといわれていた ?
   それでこの クレディの「受胎告知」  リンク先の画像のファイル名も
   Leonardo_da_Vinci_053.jpg となっているのか?
   

フィレンツェでみたとき「ダヴィンチの作であるかどうか・・・」
というような説明を多分、うけたからだと思う。

チェーザレの元にもダヴィンチはあらわれ、要塞の設計や武器の研究を行なっている。
また
「レオナルドの関心はウルビーノ公爵家の有名な図書館にある
 アルキメデスの二つの古写本にあった」


ちなみに グノーシスの薔薇  でも死体の解剖ばかりしているので変な臭いのする人で、
ミケランジェロとは同じ都市にいることは避けている、として少しだけ登場。


次の戦闘の前に、イル・モーロがマクシミリアン皇帝の援護をうけてミラノに戻ったため、
フランス部隊はミラノに戻り、チェーザレは進軍を中断。

明けて1500年、キリスト教者にとって喜ばしいこの年、聖地エレサレムが異教徒の手にある時、
唯一の聖地ローマは、そまつな巡礼衣をつけた各地からの巡礼者であふれていた。
巡礼者の嘆きの祈り。

彼らの眼の前に、彼らの最も嫌悪する古代ローマ風の凱旋式が
くり広げられたからである。
しかも法王の息子、名誉ある枢機卿の位を捨てたチェーザレによって
それは行なわれた。

カプアは陥落した。1500年代の戦いの中でも、最も悲惨な落城
となった。
・・・
すでにフランス軍一色にぬりつぶされていたナポリで、チェー
ザレは、フランス王ルイから戦勝を祝う手紙とともに、金貨2万デュカーティ
を受け取った。傭兵隊長としての彼に支払われた給料である。
・・義務は、果たしたのだった。



メモ
カテリーナスフォルツァ - Wikipedia

ロレンツォ・ディ・クレディ