レンブラントとその時代の金融システム11 グノーシスの薔薇
ラファエロ、ボッティチェリ
グノーシスの薔薇/デヴィッド マドセン
より
どうやったのかは知らないが、ジュリオも首尾よく絵の中に入り込んでみせたようだ。
彼の横柄でむさ苦しい顔がキャンバスに描かれつつある。
レオの椅子に片手をかけながら(いささか不吉な暗示だ)、こびへつらっている最中
なのか、上半身を傾けている。
私には理解できないなんらかの理由から、前回の制作途中にたまたま部屋に
入ってきたルイジ・デ・ロッシ枢機卿が、肖像画の中に永久にその姿をどどめる
ことになった。
私はラファエロに、自分も絵の中に入れないものかと訊いてみた。
レオもこのアイデアがおきに召した模様だったが、画匠はその牝鹿のような
瞳で私の身体を上から下まで眺めてから、静かに断った。
「残念ながら、私の技量では無理です。私は美しい物しか描けませんので」
彼の言葉には何の悪意もこめられていなかった--
ラファエロは好男子として登場している。
下図のユリウス2世とレオ10世の肖像画はラファエロによる。
枢機卿を目指していた(?) ラファエロの作品は、見栄えがよすぎて、
やはりこのあたりのテイッツアーノの方が味がある 。
誰かが言っていた、レオの曽祖父コジモ・デ・メディチがフィレンツェの父だとしたら
ロレンツォ・イル・マニーフィコはフィレンツェの申し子なのだと。
ロレンツォは子どもの頃から周りにいる芸術家、文学者、詩人、哲学者との友情を育むことができた。
・・・
肥満体で、恐るべき天賦の才の持ち主であったサンドロ・ボッティチェリ
(片手に鳥の脚を持ってむしゃぶりつきながら、もう片方の手で絵筆を握っていた)等など。
そしてミケランジェロ・ブオナロッティ とうい名の、黒い眉をした若者も加わった。
彼をロレンツォに紹介したのは、彫刻家のベルトルドだった。
ボッティチェリはこのありさま。
ロレンツォの息子だったレオはミケランジェロとは幼馴染。
この楽園に、一匹の蛇が入り込んだ。他ならぬロレンツォの専制君主への野望だ。これは、
独立不さの精神を重んじるフィレンツェ人が、何より忌み嫌うものだ。
・・
やがて、積もりつもった不満は嵐となって、1492年にロレンツォの跡を継いだ息子ピエロ・デ・メディチの
頭上に降りかかった。猫も杓子も、彼が「かぼちゃ頭」だと知っていた。
・・・
肖像画のピエロがなんとなく「かぼちゃ頭」にみえてきた。
メディチ家はフィレンツェから追放される。
ドミニコ派の改革者ジロラモ・サヴォナローラが現れて、群集を前に説教し、俗世の奢侈を棄て、
十字架を奉ずるようにと焚きつけたのは、この都市においてだった。
1494年から95年にかけて、彼は一種のイタリア改革運動を始めた。
盛大に火が熾され、淫らな本、ギリシャの哲学書、はては高価な衣服といったものまでが、
サヴォナローラ に魅了された民衆によって、火中に投じられた。
ボルジア家出身の教皇、老アレクサンドル6世がこれを気に入るはずもなく
サヴォナローラはローマに呼び出されるも、当然、拒否。
よって破門される。
結局、フランチェスコ派が暗躍し、短い拘束期間を経て1498年 処刑。
彼の身体は拷問のせいでひどくねじ曲がってしまっていたから、死刑台にかける前に
むりやり引き伸ばさなくてはならなかったとか。
サヴォナローラにはまってしまった後のボッティチェリの絵は暗い。

彼の横柄でむさ苦しい顔がキャンバスに描かれつつある。
レオの椅子に片手をかけながら(いささか不吉な暗示だ)、こびへつらっている最中
なのか、上半身を傾けている。
私には理解できないなんらかの理由から、前回の制作途中にたまたま部屋に
入ってきたルイジ・デ・ロッシ枢機卿が、肖像画の中に永久にその姿をどどめる
ことになった。
私はラファエロに、自分も絵の中に入れないものかと訊いてみた。
レオもこのアイデアがおきに召した模様だったが、画匠はその牝鹿のような
瞳で私の身体を上から下まで眺めてから、静かに断った。
「残念ながら、私の技量では無理です。私は美しい物しか描けませんので」
彼の言葉には何の悪意もこめられていなかった--
ラファエロは好男子として登場している。
下図のユリウス2世とレオ10世の肖像画はラファエロによる。
枢機卿を目指していた(?) ラファエロの作品は、見栄えがよすぎて、
やはりこのあたりのテイッツアーノの方が味がある 。
誰かが言っていた、レオの曽祖父コジモ・デ・メディチがフィレンツェの父だとしたら
ロレンツォ・イル・マニーフィコはフィレンツェの申し子なのだと。
ロレンツォは子どもの頃から周りにいる芸術家、文学者、詩人、哲学者との友情を育むことができた。
・・・
肥満体で、恐るべき天賦の才の持ち主であったサンドロ・ボッティチェリ
(片手に鳥の脚を持ってむしゃぶりつきながら、もう片方の手で絵筆を握っていた)等など。
そしてミケランジェロ・ブオナロッティ とうい名の、黒い眉をした若者も加わった。
彼をロレンツォに紹介したのは、彫刻家のベルトルドだった。
ボッティチェリはこのありさま。
ロレンツォの息子だったレオはミケランジェロとは幼馴染。
この楽園に、一匹の蛇が入り込んだ。他ならぬロレンツォの専制君主への野望だ。これは、
独立不さの精神を重んじるフィレンツェ人が、何より忌み嫌うものだ。
・・
やがて、積もりつもった不満は嵐となって、1492年にロレンツォの跡を継いだ息子ピエロ・デ・メディチの
頭上に降りかかった。猫も杓子も、彼が「かぼちゃ頭」だと知っていた。
・・・
肖像画のピエロがなんとなく「かぼちゃ頭」にみえてきた。
メディチ家はフィレンツェから追放される。
ドミニコ派の改革者ジロラモ・サヴォナローラが現れて、群集を前に説教し、俗世の奢侈を棄て、
十字架を奉ずるようにと焚きつけたのは、この都市においてだった。
1494年から95年にかけて、彼は一種のイタリア改革運動を始めた。
盛大に火が熾され、淫らな本、ギリシャの哲学書、はては高価な衣服といったものまでが、
サヴォナローラ に魅了された民衆によって、火中に投じられた。
ボルジア家出身の教皇、老アレクサンドル6世がこれを気に入るはずもなく

サヴォナローラはローマに呼び出されるも、当然、拒否。
よって破門される。
結局、フランチェスコ派が暗躍し、短い拘束期間を経て1498年 処刑。
彼の身体は拷問のせいでひどくねじ曲がってしまっていたから、死刑台にかける前に
むりやり引き伸ばさなくてはならなかったとか。
サヴォナローラにはまってしまった後のボッティチェリの絵は暗い。
