レンブラントとその時代の金融システム9 グノーシスの薔薇
- 我らが友たる聖書マニア
- グノーシスの薔薇/デヴィッド マドセン
より
なるほど教皇庁は確かに腐敗している、
だが、それが何だというのだ?
誰もが知っていることではないのか。
あまりにも長いこと腐敗してきたので、誰もそれが腐敗していなかった時のこと
なんか覚えていないし、そんな時代があったなんて考えもしないだろう。
ルターとかいう輩のように、どうしてこな体たらくに、などと勿体らしく思案するのは、
「なぜ太陽が熱いのか」だの「なぜ水は湿っているのか」だのを問うて、それを
改めようと試みるのに似ている。
それこそ「虚栄の最たるもの」というものだ。
ドイツの気難しい修道士殿のような連中の問題点は、自分たちは他の人々よりも
上位にあり、世界を正す資格を与えられていると思い込んでいることだ。
だが、世界は決して正しくはならないないし、これからもそうだろう
なぜならこの世は地獄なのだから
(ちなみにこれはグノーシスの知恵の一部)。
だからといって私は、聖なるアウグスティヌスのように人間嫌いにはならない。
「教皇勅書を出そうかと思うのだ、ペッペ」と聖下は私にいった。
「まだ必要ないでしょう。」
「我らが友たるあの聖書マニアは、せいぜいしばらく懊悩(おうのう)していてもらいましょう。
それに、彼は結局のところ無害ですよ」
「無害?」
「彼はおおぴらに私のことを、高利貸しだの、身内贔屓だの、ソドムの稚児だの --」
「神の血と聖処女の乳にかけて、奴は次のミサを攻撃するに違いない!」
「いっそ彼を枢機卿にしてやったらどうでしょう、聖下」
「それは何かの冗談か?」
・・・
「ルターはアウグスティヌス主義者なんじゃないか?」
「おそらくは」
「ならアウグスティヌスなんぞ、自分の尻の穴でも掘らせておけ」

レオの待従のペッペという小人の手記の形式をとるこの「グノーシスの薔薇」という本は
オリガ・モリソヴナの反語法 の罵詈、汚い台詞などかわいらしく思えてしまうくらい、
汚い言葉やえげつない内容満載であるけれども、「歴史ロマンの到達点」という、うたい文句は
ウソでないと思う。
Sandro Botticelli , の St. Augustine
1480 Fresco (transferred to canvas)
185 x 123 cm Ognissanti, Florence
オンニッサンティ教会にある若い頃の作品
関連
レオ10世 (Leo X 1475年 12月11日 -1521年
)ルネッサンス最盛期のローマ教皇を
中心に、このころの歴史の流れ、歴史上の登場人物の関係がみえてくる。
アウグスティヌス (Aurelius Augustinus、354年 11月13日 - 430年 8月28日 )
松岡正剛の千夜千冊 『三位一体論』アウグスティヌス
アウグスティヌスとルターの差