レンブラントとその時代の金融システム5 | 旅行、美術館、書評

レンブラントとその時代の金融システム5


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「レンブラント、フェルメーとその時代」展のときのカタログによると

16世紀末の数十年間に、教会以外の世俗の美術愛好者を対象として、
  聖書や神話の珍しい主題を印象的な大画面に描いた絵画が数々生まれた。

 プリンセンンホフのマウリッツ公の居部のためにハールレム 市から制作依頼を受けた、
 コルネリス・コルネリスゾーンの《嬰児虐殺》は、その一例である。

Massacre of the Innocents  そうですが、ヴィッテンベルク城教会の先日の
 『 「ヘロデ大王 による幼児虐殺 の被害者の完全な遺骨」
 という聖遺物』 とういことを聞いてしまうと、 
 煉獄に入る期間を減らす、とういうイメージがまだあったのでは
 と思えてきます。

 宗教改革後
 プロテスタント側
  現在のオランダ側、レンブラントやフェルメールは
  祭壇画などの依頼はなく、
 カトリック側
  同じ時代でもルーベンスは現在のベルギー側だったので
  祭壇画などもある。
 以上のことを実はついこの間まできちんと理解していませんでした。

 

Massacre of the Innocents また、
ピーテル・ブリューゲル にも同じテーマの作品がありますが、
当時の王がピーテル・ブリューゲル(父)の作品の多くは海外持ち出し禁止とした」とウィーンの美術史美術館で説明を受けたときの、ワケがわかるような、わからないような感じを思い出しました。

今、ふと、「聖遺物」のような扱いなのではないかと。

右図は

Kunsthistorisches Museum: Wien のものです。

参考

http://www.h5.dion.ne.jp/~pieter/first-3.html
 より
≪嬰児虐殺≫は現在ウィーン、ハンプトンコート、ブカレスト、ブリュッセルなどに確認されている。しかしその中でもピーテル・ブリューゲル1世によるもの として信憑性が高いと思われるのはハンプトン・コート作品である。ウィーンの≪嬰児虐殺≫は長年オリジナルと思われていたが(グロースマン説)80年代に 行われた年輪分析法による調査 で制作年代がピーテル・ブリューゲル一世の死後15年程度であることが確認されている。