アンカラのアタテュルク廟
もう、随分前になるが
イスタンブールをみたくて参加したトルコ・ギリシャのツアー、
スタートはトルコの首都アンカラだった。
夜、西欧資本のヒルトンホテルに宿泊し、翌日、カッパドキアに
バスで向かう前にアンカラの市内見学。
http://www.travelplatz.com/turkey/ankara.html
ここでみたトルコ共和国の建国の父である、アタチュルク廟
は記憶に残っている。
日本は明治維新により江戸時代から西欧化へばく進していったが、
トルコは「父なるトルコ人」を意味するアタテュルク により大胆な
改革が進められた。
ここ、アタテュルク廟 では、建国の父に対するトルコ国民の
畏敬の念が強く感じられた。
あるいはトルコは
「軍部の政治介入は、国民の軍に対する高い信頼に支えられていると言われる」
らしいが、そのような雰囲気も感じられた。
しかし、イスラム原理主義からの揺り戻しもあり、日本のように一直線にはなかなか。
日本も明治新政府軍が江戸幕府勢力を津軽海峡の先の五稜郭 まで追っていかなかったなら、
残存勢力は北海道をどうしていっただろうか。
関連

スタートはトルコの首都アンカラだった。
夜、西欧資本のヒルトンホテルに宿泊し、翌日、カッパドキアに
バスで向かう前にアンカラの市内見学。
http://www.travelplatz.com/turkey/ankara.html
ここでみたトルコ共和国の建国の父である、アタチュルク廟
は記憶に残っている。
日本は明治維新により江戸時代から西欧化へばく進していったが、
トルコは「父なるトルコ人」を意味するアタテュルク により大胆な
改革が進められた。
ここ、アタテュルク廟 では、建国の父に対するトルコ国民の
畏敬の念が強く感じられた。
あるいはトルコは
「軍部の政治介入は、国民の軍に対する高い信頼に支えられていると言われる」
らしいが、そのような雰囲気も感じられた。
しかし、イスラム原理主義からの揺り戻しもあり、日本のように一直線にはなかなか。
日本も明治新政府軍が江戸幕府勢力を津軽海峡の先の五稜郭 まで追っていかなかったなら、
残存勢力は北海道をどうしていっただろうか。
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