原発ラッシュと伊勢神宮
アメリカだけで33基。2030年までに全世界でおよそ300基。
米スリーマイル島、旧ソ連チェルノブイリの事故以降
20年以上凍結されてきた原発建設 に、再び火がついた。
地球温暖化対策、原油高もあって、建設ラッシュの様相を呈している。
そんな中、世界から注目されるのが日本企業だ。
世界が止まってい た間も日本国内で原発建設を続けてこられたため
世界最高の技術力を誇る、三菱重工、日立、東芝が、
巨大ビジネスの主役に躍り出ようとしている。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2008/0802fs.html
20年も建設していなかったので、もうそう簡単にはつくれない。
原発の部品を造る溶接技術をもつ日本の職人。
一方、
20年後、日本は現在の原子力発電所のリプレースの時期なるが、
この時まで現在の技術を維持しておかなければならない。
千年以上、20年ごとに伊勢神宮は建て替えられてきたとは。
日本はすごい国だと思います。
* ちなみに 伊勢神宮は皇室祖先神(天皇を祭った神宮 ではない)
であり、天皇による参拝は明治天皇以降だとか。
また、
「三種の神器の一つを祀る熱田神宮は、
伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張
は却下されていて(伊勢神宮の反対があったという)、
第二次世界大戦の戦災により社殿は焼失とは。
* 安徳天皇 を祭った赤間神宮 に八咫鏡 奉鎮の碑があります。
http://buchi-shimo.web.infoseek.co.jp/kanko/danno/akama_2.html
米スリーマイル島、旧ソ連チェルノブイリの事故以降
20年以上凍結されてきた原発建設 に、再び火がついた。
地球温暖化対策、原油高もあって、建設ラッシュの様相を呈している。
そんな中、世界から注目されるのが日本企業だ。
世界が止まってい た間も日本国内で原発建設を続けてこられたため
世界最高の技術力を誇る、三菱重工、日立、東芝が、
巨大ビジネスの主役に躍り出ようとしている。
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku2008/0802fs.html
20年も建設していなかったので、もうそう簡単にはつくれない。
原発の部品を造る溶接技術をもつ日本の職人。
一方、
20年後、日本は現在の原子力発電所のリプレースの時期なるが、
この時まで現在の技術を維持しておかなければならない。
千年以上、20年ごとに伊勢神宮は建て替えられてきたとは。
日本はすごい国だと思います。
* ちなみに 伊勢神宮は皇室祖先神(天皇を祭った神宮 ではない)

であり、天皇による参拝は明治天皇以降だとか。
また、
「三種の神器の一つを祀る熱田神宮は、
伊勢神宮と同格であるべきだ」という主張
は却下されていて(伊勢神宮の反対があったという)、
第二次世界大戦の戦災により社殿は焼失とは。
* 安徳天皇 を祭った赤間神宮 に八咫鏡 奉鎮の碑があります。
http://buchi-shimo.web.infoseek.co.jp/kanko/danno/akama_2.html
千数百年にわたって伊勢神宮が20年ごとに
建て替えされてきた理由は?
木造建築でも、法隆寺の五重塔のように千年以上もの耐久性 を持たせる様式もあり、また古代日本にはそれだけの技術もあっ た。屋根を茅葺きではなく瓦葺きに変え、柱に土台をつけて漆 を塗れば、はるかに長持ちする。http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h17/jog377.html
しかし、われわれの先祖は頑固に神代からの簡素な茅葺きと 白木の神明造の様式を変えず、それを維持するために、わざわ ざ一定期間毎に建て替えるという大変な手間を千数百年も愚直 に続けてきたのである。
それは先祖の確立した伝統的様式を大切に守っていこうとい う姿勢とともに、簡素で真新しい清浄な建物こそ神様にふさわ しいという神道の感覚がある。伝統と清新という相矛盾する要 求を同時に満たすのが、定期的な建て替えという世界でもユニ ークな手法だったのである。
20年という遷宮のサイクルは、宮大工が20代で下働き、 40代で中堅、60代で棟梁となって、次の世代に技術をバト ンタッチしていく上で最適なものとなっている。しかし鎌倉末 期までは20年目の建て替え、すなわち満19年のサイクルで あった。これには別の意味があったと推定されている。
古代の暦は太陰太陽暦と呼ばれ、太陰すなわち月の満ち欠け によって29日半を一ヶ月としたが、それが12ヶ月では1太 陽年に11日足らないので、季節がずれていってしまう。これ を調整するために、19年に7回、閏月(うるうづき)と言っ て余分な月をはさんだ。すなわち19年をめぐると、暦上の元 日と太陽年の立春が重なる。この19年を「一章」と呼ぶ。
年末に大掃除をして、年の始めを清浄な家屋で迎える事によっ て、我々は清々しい気持ちとなり、新しい一年の希望に胸を膨 らませる。それと同じ事を、古代人は一章の始まりにも感じて いたのであろう。真新しく再建された神殿で新しい一章を迎え るというのは、我々が正月、清らかに清掃された神社に参拝し て清々しい気持ちで一年を迎えるのと、スケールこそ違え、そ の根本は同じである。