ウィーンの環状道路と世紀末芸術.10
分離派館の地下のベートーヴェン・フリーズの展示室に
天井画を配置してみました。 (拡大表示可)
先日から気になっていた「偶然にも」 の経緯がわかりました。
大戦も終わりに近づいた1945年、退却を重ねていた際にナチス軍は
戦略的には意味もないのにインメンドルフ城に火を放ち、そこに疎開してあった
クリムトの作品は灰になってしまいました。
けれども、ベートヴェン・フリーズはここには疎開していなかったのです。
第14回分離派展終了後、この絵はバラバラに散逸するより、
ひとまとめにして保存したほうが良いといって、カール・ライニングハウスによって買い取られたが、
1915年、エゴン・シーレの仲介で、レーデラー家の所有となった。
1973年オーストリア政府がこの作品を買い上げ、困難な修復作業ののち、
1985年『夢と現実展』で復元された室内で再公開され、1986年に分離派会館に帰ったという。
●緑の風に吹かれて オーストリアの旅
http://www.geocities.jp/romanesque_x/este31.html
この作品もインメンドルフ城で灰になってしまったものです。
「女友だち」 1916-1917年 99x99cm (?)
バックナンバー * Google Map ではこのあたり
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.12 カールス教会 と歴史博物館
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.11 シュテファン大聖堂
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.10 分離派館の地下のベートーヴェン・フリーズの展示室2
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.09 分離派館の地下のベートーヴェン・フリーズの展示室1
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.08 分離派館
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.07 ケルトナー通り Karntner Strasse
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.06 ホーフブルク王宮
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.05 右に 自然史博物館、美術史美術館、左に 新宮殿
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.04 ブルク劇場のクリムト
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.03 Cafe
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.02 クリムト 天井画
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.01 環状道路(リンクシュトラーセ)の沿線には
天井画を配置してみました。 (拡大表示可)
先日から気になっていた「偶然にも」 の経緯がわかりました。
大戦も終わりに近づいた1945年、退却を重ねていた際にナチス軍は
戦略的には意味もないのにインメンドルフ城に火を放ち、そこに疎開してあった
クリムトの作品は灰になってしまいました。
けれども、ベートヴェン・フリーズはここには疎開していなかったのです。
第14回分離派展終了後、この絵はバラバラに散逸するより、
ひとまとめにして保存したほうが良いといって、カール・ライニングハウスによって買い取られたが、
1915年、エゴン・シーレの仲介で、レーデラー家の所有となった。
1973年オーストリア政府がこの作品を買い上げ、困難な修復作業ののち、
1985年『夢と現実展』で復元された室内で再公開され、1986年に分離派会館に帰ったという。
●緑の風に吹かれて オーストリアの旅
http://www.geocities.jp/romanesque_x/este31.html
この作品もインメンドルフ城で灰になってしまったものです。
「女友だち」 1916-1917年 99x99cm (?)
バックナンバー * Google Map ではこのあたり
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.12 カールス教会 と歴史博物館
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.11 シュテファン大聖堂
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.10 分離派館の地下のベートーヴェン・フリーズの展示室2
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.09 分離派館の地下のベートーヴェン・フリーズの展示室1
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.08 分離派館
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.07 ケルトナー通り Karntner Strasse
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.06 ホーフブルク王宮
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.05 右に 自然史博物館、美術史美術館、左に 新宮殿
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.04 ブルク劇場のクリムト
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.03 Cafe
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.02 クリムト 天井画
ウィーンの環状道路と世紀末芸術.01 環状道路(リンクシュトラーセ)の沿線には