会津美里町の龍興寺は、徳川家康・秀忠・家光に仕えた天海大僧正が幼い時に得度した寺と伝わる古刹です。天海大僧正の父母の墓があり、人々の崇敬の深さと隆盛を極めた寺院であったと史実書籍等にも記されています。

 寺に伝わる一字蓮台法華経は、経文の1字ごとに蓮の花を台座として書かれたお経です。平安時代に書き写されたものと伝わっています。

 境内の本堂脇に浮身観音堂があります。浮身観音は
永禄2年(1559)に舟木兵太郎(後の天海大僧正)が12歳の時、霊夢によって浮目というところの水田より土仏観音像を発見しました。その後、この土仏を模して木造の観音像をつくり、胎内に土仏を納め祀ったとされています。
 浮身観音は、会津三十三観音の番外ですが、現在は龍興寺境内に浮身観音堂が建立され、多くの人々が参詣に訪れます。

 

 本堂の裏側には、「華芳園」と名づけられた蓮池があります。

 

 大賀ハスなど珍しい5種類のハスが美しい花を咲かせています。