小峰城は石垣の城でもある。現存している石垣は、本丸を囲む部分がほとんどだが、東日本大震災からの復旧を果たし、往時の姿を見事に残している。

 

本丸下の東側に連なる石垣、この上の部分は竹之丸という広場で、北東と南東の隅に櫓があったらしい。

 

石垣から少し離れた場所に、あったのが戊辰戦争における薩摩藩の戦没者慰霊碑、白河以外にも埋葬されていたものを後年合葬したらしい。

市内のお寺には、他にも戊辰戦争時の戦死者を敵味方の区別なく弔った石碑や墓が多数残っている。戊辰戦争の時の対応として、会津藩が義の心であり、白河は仁の心だという謂れである。

北側から見上げる三重櫓

北側のお堀に向いて大きな開口部があり、これは水懸口といい、場内の排水やごみ処理のための施設と考えられる。

 

本丸を広く囲っている帯曲輪、北向きに長い石垣が広がっている。

同じく東側に南北に延びる帯曲輪の石垣

その帯曲輪は、東日本大震災で、石垣が大きく崩落した。(当時の写真)

修復した部分の写真(赤線内の部分)

崩れた石垣を一つ一つ拾い集め、壊れてしまったものは新しく作り直すなどして、元のように戻した手法は、その後の熊本城の修復にも役立てられた。今回の能登半島地震でも被害を受けた金沢城の石垣修理でもアドバイスを送ったという。

西に、那須連峰をバックに新幹線の姿、陽の光がのどかになってきた。

在来線の白河駅がすぐそばに見える。通過する貨物列車

駅を出発したばかりの上り電車

 

本丸の出入り口にあるのが前御門、

 

重厚な造りで本丸御殿を守っていた。

前御門と三重櫓

二の丸から本丸へと向かう正面の石垣も崩落したが、そのあとをとどめないほどに見事に修復されている。

今は仮の門があるが、ここにかつての清水門が復元されるそうだ。

小峰城は、昔の姿をとどめている城跡である。無駄な整備をしないので、観光客には地味な場所に感じられるが、その歴史的な価値を重視した整備の仕方がいいのだと思う。