雲厳寺は、八溝山地のふところ深く、清らかな渓流のそばに建つ、臨済宗の名刹です。
 開山当時は、筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、禅宗の日本四大道場と呼ばれたそうです。

 山門の正面にある朱塗りの反り橋を渡って石段を登ると、正面に釈迦堂、獅子王殿が一直線に並ぶ代表的な伽藍配置となっています。

仏殿の他に、山門や鐘楼、薬師堂など、境内には多くの堂宇が建てられているがあくまでも聖域なので、参詣客の良識ある見学態度が求められているらしく人々は静かに景観を楽しんでいました。

 

 俳聖松尾芭蕉は、この地で「木啄も 庵は破らず 夏木立」の句を残しています。春の新緑・秋の紅葉・冬の雪景色は見事です。

 天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では、烏山城の那須資晴が恭順せず、城攻めの際には付近の住民が雲巌寺に逃げ込みました。豊臣方は、北条氏を大檀那とするこの寺を軍事要塞と見なし、火を放ったということですが、数年後には再建されています。

 石段の手前にある朱色の反り橋は、下を流れる清流とともに、境内に入る自分の心の見直しを自覚させられるようです。

 JR東日本、大人の休日クラブのポスターでは、吉永小百合さんがこの橋にたたずむ写真が使われています。新緑のころですが、栃木県内では、道の駅をはじめとして、飲食店などにもこのポスターがよく見られます。

このポスターが発表された後から、観光地ではない修行の場であるこの寺院を訪れる人が急増したということです。

  JR東日本ポスター