今年になって友人を二人も亡くした。
こんなに辛いんならいっそ一人でいい、なんて思った事もあったりなかったりする。
いや、やっぱりない。
俺はさみしがり屋だからな。
残された人間は悲しみにくれながら酒を飲んだり弔いの演奏をしたりと、人それぞれに哀悼の意を表明する。
そのどれもが純粋な想いだからこそ、さらに友の繋がりは強くなる。
そこから繋がる縁もあったりする。
無駄な事など何一つない。
と、かっこつけて言ってみたが、やはり「もうあいつはこの世にいない」という現実は果てしなく重くのしかかってくる。
その重さに耐えるのは中々に困難である。
上手くやり過ごしているようで、ふとした時に想いが蘇ってしまう。
頼むから、せめて俺より先に死んでくれるな、愛する隣人達よ。
健康診断とかちゃんといけよ!
※筆者が先日日程を勘違いして健康診断をブチってしまったのはここだけの話
MAGMA
お久しぶりです。
GLARED RATSのギタリスト・マグマです。
とんとブログを更新していませんでしたが、消して忘れていたわけではありません。
書くネタと根気が無かっただけでございます。
さて、突然の更新はほかでもない。
我がGLARED RATSは正式なベーシストを募集しています。
ライブオファーをいただいてはヘルプ頼みでやってきましたが、各々の状況を鑑みての正式なベーシスト公募です。
経験、演奏スキル、年齢、性別、性自認、国籍、身長、体重、血液型、好きな食べ物、足のサイズ。
一切不問です。
ただひとつだけ、ライブが好きで音楽が好きでロックが好きでベースが好きな人。
これだけです。
ひとつじゃねぇじゃねえかという突っ込みも歓迎でございます。
音源はありませんが、Youtubeで「GLARED RATS」で検索したらライブ映像が出てきますので参考にしてください。
うちらと一緒にはじけてくれる人、カモナジョイナス。
あと飲兵衛だとうれしいな。
なんちて。
MAGMA
GLARED RATSのギタリスト・マグマです。
とんとブログを更新していませんでしたが、消して忘れていたわけではありません。
書くネタと根気が無かっただけでございます。
さて、突然の更新はほかでもない。
我がGLARED RATSは正式なベーシストを募集しています。
ライブオファーをいただいてはヘルプ頼みでやってきましたが、各々の状況を鑑みての正式なベーシスト公募です。
経験、演奏スキル、年齢、性別、性自認、国籍、身長、体重、血液型、好きな食べ物、足のサイズ。
一切不問です。
ただひとつだけ、ライブが好きで音楽が好きでロックが好きでベースが好きな人。
これだけです。
ひとつじゃねぇじゃねえかという突っ込みも歓迎でございます。
音源はありませんが、Youtubeで「GLARED RATS」で検索したらライブ映像が出てきますので参考にしてください。
うちらと一緒にはじけてくれる人、カモナジョイナス。
あと飲兵衛だとうれしいな。
なんちて。
MAGMA
本日は吾輩の生誕日。
当年とって41歳。
思えば長生きしたもんだ。
たかだか40年そこらで長生きとはこれいかにと思われるだろうが、
それこそ江戸時代なら既に平均寿命の歳だ。
時代が変われば生き様も変わる。
寿命が延びれば悩みも増える。
喜びと苦悩は表裏一体なのだ。
そこそこ良いことを言ったし、
およそ現代の平均寿命の半分を生きたところで少し語ろう。
40にもなれば色々と環境も変わってくる。
吉報が減り、訃報が増える。
今まで当たり前にいた人が居なくなるというのは全くもってさみしい話だ。
キヨシローが居なくなったときもアベが居なくなったときも、親愛なるあのお方が居なくなった時も。
何とも言えない虚無感というか、まるで宇宙から自分を見ているような達観した気分になってしまう。
こうかくとまるで厨二病に聞こえてしまうが、まあなんていうのかね。
神様が地球を造り動物を造り人間を造った創世の頃は、こんな時代が到来すると予測していたのだろうか。
自ら自然の恵みを破壊しておきながら住みにくくなった地球に対して「地球の為に」と手を取り合う。
プラカードを掲げ電力会社の前で声高に叫ぶもフロンガス入りのスプレーを使う事をやめはしない。
動物愛護を謳いながらも持っているハンドバックは本革だ。
象は仲間の死を悲しむ風習があるという。
人は親しき間柄を失くした時、こと日本では火に葬して弔うのが慣例だが、そういう気概は愛情なくしては根付かないものなんだろう。
だったらその愛情を母なる大地にも向けてみてはどうかね、とは思う。
既に発展した文明の中ではそれも難しい話なんだろうか。
ま、でもあれだ。
世知辛い世の中を悲観するより今この一杯の酒をどれだけ美味しく飲むか。
それにつきるだろう。
俺の人生そんなもん。
でも幸せだからいいのだ。
素晴らしい音楽、素敵な仲間、楽しい仲間、愛する家族。
他に望むもんなどあろうはずもない。
あえて他に望むとしたら潤沢な資金とBBQできるような広い家とランボルギーニと金髪巨乳美女だけだ。
みんな今を一生懸命生きている。
全ての生あるものよ、幸あれ。
以上
当年とって41歳。
思えば長生きしたもんだ。
たかだか40年そこらで長生きとはこれいかにと思われるだろうが、
それこそ江戸時代なら既に平均寿命の歳だ。
時代が変われば生き様も変わる。
寿命が延びれば悩みも増える。
喜びと苦悩は表裏一体なのだ。
そこそこ良いことを言ったし、
およそ現代の平均寿命の半分を生きたところで少し語ろう。
40にもなれば色々と環境も変わってくる。
吉報が減り、訃報が増える。
今まで当たり前にいた人が居なくなるというのは全くもってさみしい話だ。
キヨシローが居なくなったときもアベが居なくなったときも、親愛なるあのお方が居なくなった時も。
何とも言えない虚無感というか、まるで宇宙から自分を見ているような達観した気分になってしまう。
こうかくとまるで厨二病に聞こえてしまうが、まあなんていうのかね。
神様が地球を造り動物を造り人間を造った創世の頃は、こんな時代が到来すると予測していたのだろうか。
自ら自然の恵みを破壊しておきながら住みにくくなった地球に対して「地球の為に」と手を取り合う。
プラカードを掲げ電力会社の前で声高に叫ぶもフロンガス入りのスプレーを使う事をやめはしない。
動物愛護を謳いながらも持っているハンドバックは本革だ。
象は仲間の死を悲しむ風習があるという。
人は親しき間柄を失くした時、こと日本では火に葬して弔うのが慣例だが、そういう気概は愛情なくしては根付かないものなんだろう。
だったらその愛情を母なる大地にも向けてみてはどうかね、とは思う。
既に発展した文明の中ではそれも難しい話なんだろうか。
ま、でもあれだ。
世知辛い世の中を悲観するより今この一杯の酒をどれだけ美味しく飲むか。
それにつきるだろう。
俺の人生そんなもん。
でも幸せだからいいのだ。
素晴らしい音楽、素敵な仲間、楽しい仲間、愛する家族。
他に望むもんなどあろうはずもない。
あえて他に望むとしたら潤沢な資金とBBQできるような広い家とランボルギーニと金髪巨乳美女だけだ。
みんな今を一生懸命生きている。
全ての生あるものよ、幸あれ。
以上
