雑誌「ゲームボーイ」と、アニキ倉西。 | 行雲流水的くっぞこ

雑誌「ゲームボーイ」と、アニキ倉西。

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 学生時代の一時期、テレビゲームにはまっていました。高校、大学にかけて、友人にテレビゲーム好きが多かったからですけどね。


 テレビゲームが好きとなると、当然、ゲーム雑誌も読むわけです。ただ、軍資金が少ない学生時代、雑誌を購入するとなると、何らかの付加価値がついてるのしか買いませんよね。

 それらのゲーム雑誌の中で、一番くだらなかったのが「ゲームボーイ」というゲーム雑誌でした。

 これは、1994年8月号です。
 「ゲームボーイ」という誌名ですが、1989年に任天堂から発売された、携帯ゲーム機”ゲームボーイ”とは関係なく、その4年前、1985年に創刊されたテレビゲーム雑誌です。任天堂のゲームボーイの方が、名前は後から付いたんですね。


 この雑誌、普通にゲーム情報も載ってるんですけど、何か他のゲーム誌と変わってるんですよ。”笑い”があふれているというか。真面目なゲーム記事の合い間に、バカをやってる編集者/ライターの文章があって。

 あと、この雑誌、他ゲーム誌であまり取り上げてない、有名ゲーム(ドラクエとか、ファイナルファンタジーとか)の陰に隠れて紹介されない面白いゲームをメインで紹介していたので、この雑誌だけ読むと、当時の雰囲気が分からないかもしれませんね。普通、他のゲーム誌なら、十数ページで特集を組むようなドラクエや、ファイナルファンタジーの記事が、1ページ、下手すると数行しか載ってない、なんて事もありましたし。

 ゲーム雑誌の中であまり売れてなかった(ホントなのかどうかは、知らないですけどね(笑)雑誌の中でよく言われてました)からなのか、色々変わった企画が多くて。


 例えば当時、ゲーム雑誌”ファミコン通信”に、毎号、”ガバス”というクーポン券が付いていたんですね。読者コーナーに投稿しても”ガバス”は、貰えましたけど。この券を集めて”ファミコン通信”編集部へ送ると、その送ったポイントでゲーム機やソフトと交換できる、というもの。

 この”ガバス”を「ゲームボーイ」読者から募集して、「ゲームボーイ」編集部に送られてきた大量の”ガバス”を、実際に”ファミコン通信”編集部へ持って行って、交換した賞品を読者プレゼントする、とか(笑)。


 でも、この雑誌、今はもうありません(1994年に廃刊)。私は、毎月買ってました。読者コーナーにネタを送っていたくらい好きでした(4コマ漫画とか)。

 この雑誌のキャッチフレーズが、”自称ゲーム誌界のポル・ポト派”でしたから(笑)。


 この雑誌の編集者でライターだった、アニキ倉西さんという方がすごくて。

 当時、彼は20代半ばだったと思うんですけど、この雑誌の中では、バイセクシャルのキャラで(笑)。ホントはどうなのか知りませんよ(笑)雑誌の中では、です。

 この雑誌ではアニキ倉西さんのキャラが際立ってて、彼の雑誌、みたいな感じでしたね。


 私、”この雑誌「ゲームボーイ」”と、”アニキ倉西”さんが好きだったんでしょうね。この雑誌の廃刊後は、テレビゲームをあまり遊ばなくなってしまいました。ちょうど、プレステが出るちょっと前で、スーパーファミコンが衰退していくのと同時に、テレビゲームで遊ばなくなった感じですね。



 最近、何気なく、”アニキ倉西”でネット検索してみたんですね。一つだけヒットして、3年前に書かれた記事で、”某雑誌の編集長に昇進した”というのが出てきて、エッと、驚いて。

 慌てて、本名の”倉西誠一”で検索すると、たくさんヒットして。今、「電撃プレイステーション」というゲーム雑誌の編集長をやられてるんですね。ここ7-8年くらい、またテレビゲームを遊びだしたんですけど、任天堂関連の雑誌はたまに見るんですが、プレステ関連のゲーム雑誌は、全然見なかったので、知りませんでした。

 何かうれしいですね。


 雑誌「ゲームボーイ」に載ってた、15年位前のアニキ倉西さん(左)。


 今のアニキ倉西さん。あんまり変わってないなぁ。

 倉西誠一(アニキ倉西)さんのブログ”ゲームの常識”


企画編 その1 ガバス企画へ


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