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ぱらぱらと、ボルヘス『永遠の歴史』

(ちくま学芸文庫)を読んでました


J.L. ボルヘス, 土岐 恒二

永遠の歴史


これは以前読んだもので、ところどころに傍線や印がはいっています
それはかつて何かしらひっかかるところがあった箇所です
2度目以降読み直すときには、それらの印を目印にして読み直します

傍線のあるところとか・・・
だいたい、興味のあるテーマのところは傍線をひくし、

個人的に興味がなければ通り過ぎます
あれもこれも考えることはできないから、
しょうがないですね、、、


ヽ(´ー`)ノ


p41
これは三十年前とまったくそのまま同じではないか……。


p42
 その想像をいま私は次のように書く。静穏な夜、澄みきった声で啼く小鳥、すいかずらの鄙びた匂い、本来の泥んこ道──そういったさまざまな同室的なものが一体になったあの純粋な示現は、ただ単に千八百何年かのあの角における示現とそっくりであるだけではない。それは、相似でも反復でもなく、まさに同じ当のものなのである。時間とは、もしわれわれにその実体を直観することができるとすれば、一つの幻想である。見かけ上のきのうという日の一瞬と、見かけ上のきょうという日の一瞬との間には何の相違もなく、両者は不可分のものであるという一事だけで、時間を解体するには十分であろう。
 そのような人間的瞬間瞬間の総数が無限のものでないことは明らかである。


(循環説)


p112
 時としてわれわれは「そのような瞬間をすでに生きたことがある」という感情に襲われて、もの思いに沈んでしまうことがある。永劫回帰説の同調者たちは誓ってそのとおりであると断言し、既視(デジャ・ヴュ)などという人を惑わす状態に、彼らの信念の確証を求めるのである。


p126
……人間の認識、感情、思考、栄枯盛衰の数は有限であり、死ぬ以前にわれわれはそれを使い果たすであろう、ということに帰着する。マルクス・アウレリウスは繰り返し言っている。「現在を見てしまった者はすべてのものを見てしまったのである。いつとも知れぬ遠い昔に起こったこと、未来において起こるであろうことを。」(『自省録』第六章第三七節)