復活節第3主日礼拝

 
今週の御言葉
主なる神は土のちりで人を造り、
命の息をその鼻に吹きいれられた。
そこで人は生きた者となった。
主なる神は東のかた、
エデンに一つの園を設けて、
その造った人をそこに置かれた。
 

主なる神は

人から取ったあばら骨で

ひとりの女を造り、

人のところへ連れてこられた。

そのとき、人は言った。

「これこそ、ついにわたしの骨の骨、

わたしの肉の肉。

男から取ったものだから、

これを女と名づけよう」。

創世記2章7~8、22~23節
 
 
 聖書箇所
創世記2章4~23
 
メッセージ題
「最高の楽園」
 
 

今日の聖書箇所である創世記の2章では、神さまが土のちりで人間を造り、命の息を鼻から吹き入れられ、生きた者となったと記されています。これこそが人間が神に似せられた最たる部分なのです。人間は神さまの命の息つまり霊が吹き込まれ、神さまと話をし、交わり、愛し合うことができる存在となったのです。そんな特別な存在として造ってくださった人間に対し神さまは最高の住処(すみか)、エデンの園を設けてくださったのです。そこには見るに美しく食べるに良い木をはえさせられました。そして園の中央には命の木と善悪を知る木をはえさせたのです。また園から一つの川が流れ出ていました。それが途中から四つに分かれたのです。それは周囲の地を肥えたものとさせたのです。このように、人間が生きていくのに最高の場所を神さまは造ってくださったのです。神さまは人をエデンの園に連れて行き、これを耕させ守らせたのでした。

 今、一番私たちが嫌っているものと言えば新型コロナウイルスでしょう。これさえ無くなってくれれば私たちは思いのままに生きることができるのに。日常が取り戻せるのに。生命の危機の不安から解放されるのに。だけどこのウイルスの蔓延によって人間の活動が制限されたために海や空は奇麗になりました。教会の花壇の花も生き生きしているように見えます。地球からしてみれば環境を破壊する人間こそ害悪だと思われているのでしょうか。神さまの命令に従って耕さず守らず、自分たちの好き勝手にしてきたことに対する報いなのでしょうか。

また神さまは人にこう言われたのです。「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。(18節)そして主なる神さまは野のすべての獣、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られたのです。人はそれらに名前をつけたのです。でもふさわしい助け手は見つかりませんでした。すると神さまは人を眠らせ、彼のあばら骨一つを取って肉で塞(ふさ)がれ女の人を造られたのです。そして彼の所に連れて行きました。それを見た男の人は大喜びで言ったのです。

 「これこそ、ついにわたしの骨の骨、

 わたしの肉の肉。

 男から取ったものだから、

 これを女と名づけよう」。(23節)

 神さまは人が住むのに良い場所を造ってくださっただけではありません。彼の助け手になるように野の獣、全ての鳥を造られました。そして一番ふさわしい助け手として女の人を創造されたのです。これによって男と女が愛し合い、助け合い一つとなって生きていくことができるようになったのです。神さまは人間に対して最大の配慮をされ最高の楽園を造って最高の生き方ができるようにしてくださったのです。このまま神さまを信頼して共に生きていくなら、これ以上ない生活が約束されていたのです。しかしそうはいかなかったのです。神さまは16節で人にこう命じておられます。

 「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。(16節)しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。(17節)

 でも人間は神さまを信頼できず蛇に騙されて罪を犯してしまいました。これによってエデンの園を追い出されてしまったのでした。園と比べると余りにも困難の多い、人生の多くを自分の力で切り開いて行かなければならないような場所で生きて行かなければならなくなったのです。そして苦労して生きた末、神さまの言葉どおり最後は死んでこの世を去らなければならなくなったのでした。

 しかし神さまは人間をそのままにはされませんでした。そんな園の外の世の中においてもそこを支配し守り導かれたのです。人を愛し共におられることだけはやめられませんでした。そして何とご自分の御子である主イエス・キリストに人間の罪の罰を十字架によって受けさせたのでした。イエスさまは死なれ墓に葬られました。でも三日目によみがえられ天に昇られたのです。これを信じる者は罪が赦され救われ永遠の命が与えられるのです。人は罪によって死ななければなりません。でもキリストの十字架と復活を信じてよみがえりの命が与えられるのです。

 

 
※緊急事態宣言期間中は無会衆礼拝として守ります※