復活節第2主日礼拝

 
 
今週の御言葉
神が造ったすべての物を
見られたところ、
それは、
はなはだ良かった。
創世記1章31節
 
 
 聖書箇所
創世記1章1~5節
 
メッセージ題
「神が創造されたものはよい」
 
 

 

 「人間とは何だ」。昔の青春ドラマのタイトルみたいですけど。聖書には実に明快に人間とはこうであるというのです。「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り」。(26節)人間は神さまに似せて造られたのです。これは特別優れた人とか、立派な人たちだけが神さまに似ているというわけではありません。この教会にいる皆さん全てのことでもありますし、この世界の全ての人が神さまに似せて造られたのです。では一体どこが神に似ているのというのでしょうか。

 

「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。(26節)

 

 神さまは人間という生き物だけでなく、海の魚、空の鳥、家畜、地の全ての獣、地の全ての這う生き物を創造されました。人間にはそれらを治めさせようとされました。実際に人間はここでいう生き物を治めているといえるでしょう。そしてこれらの生き物と人間の違う点とは何なのでしょうか。一般に動物には意思が無いといいます。食べたいから食べる、こうしたいからこうするしかない。本能しかないのだと。それに対して人間には意思があります。確かにこうしたいからこうするという本能はありますけど。でも自分で考えたり、予測したりして行動します。本能的な行動を抑えることも不可能ではありません。実はこの意思を持っているということ、これこそが神の似姿なのです。

 

 創世記1章では神さまが天地のあらゆるもの、生き物を創造されたことが記されています。それも神さまご自身が「こうしたいなー」という思い、考え、意思を持って創造の業をなされました。そして天と地、光、海と陸地、植物、生き物、ご自分に似せて人間を創造されたのです。そして神さまは、創造された全てのものを見られて「良かったな」と納得されたのです。

 

 人間も何か物を作り出すことはできます。もちろん神さまと同じやり方で同じものを作ることはできません。でも「ああしたい。だからこれを作ろう」という意思を持って何かを作り出すことはできるのです。これも神さまに似せられた部分なのです。また作るのは形がある物だけではありません。人間は意思を持って他人との人間関係をも作ります。人は異性を愛するという意思を持って夫婦関係を作り、家族を愛するという意思を持って家族関係を作りだすのです。

 

 そしてこれこそ神さまから似せて造られた真骨頂と言えるでしょう。神さまは人間を愛されるのです。同じく人間も愛することができるのです。だけど神さまと同じように愛することができるわけではありません。神さまの愛は完全です。それがおできになり、成し遂げられたからこそまさしく神なのです。

 

 人間は罪人です。このままでは救われません。しかし神さまはこの罪の罰を身代わりになって受けさせるために、御子である主イエス・キリストを十字架につけられたのです。キリストは十字架の上で苦しみ死なれ墓に葬られました。しかし三日目によみがえられました。そして天へと昇られたのです。このことを信じるなら、あなたは罪が赦されて救われ永遠の命が与えられるのです。神さまは罪人である人間を救うために御自分の御子の命を与えるほどに愛して下さっているのです。神は愛なりなのです。

 

 神さまはそれほどまでに私たちを愛して下さっています。それほどまでに神さまから創造されたあなたはよいのです。

 

 
 
※5月3日(日)まで、無会衆礼拝として守ります※