「ひろ」です。

 

 

平昌オリンピックが終わり、

この3/9日~3/18の日程で、

平昌パラリンピックが開催されています。


パラリンピック

(Paralympic Games)は、

国際パラリンピック委員会(IPC)が主催する、

身体障害者(肢体不自由(上肢・下肢および欠損、麻痺)、

脳性麻痺、視覚障害、知的障害)を対象とした競技大会の中で

世界最高峰の障害者スポーツ大会です。
現在ではオリンピックと同じ年に同じ場所で開催されます。


パラリンピック

はIPCの登録商標で、

オリンピック

と同様に商用の保全が義務付けられ、

むやみにその商標表記を使用できないようになっています。

日本オリンピック委員会(JOC)という団体は、

みなさんよく聞いたことがあると思いますが、

ここが『オリンピック』の商標保全業務を担っています。

同様に『パラリンピック』という商標は

日本パラリンピック委員会という団体が管理し、

商標保護とともに日本選手団の派遣事業も行っています。



日本パラリンピック委員会は

公益財団法人日本障がい者スポーツ協会の傘下にあり、

日本国内において

パラリンピック

という文言を使用するためには

日本障がい者スポーツ協会の承認が必要となります。

もともとは車いす使用者の為のスポーツ大会だったものを、

その他の障がいを持った人にも拡大してきた経緯があり、

同じ障がい者のスポーツ大会である

デフリンピック(聴覚障碍者)

スペシャルオリンピックス(知的障碍者)

とはまた別の理念と歴史を持っています。



パラリンピックの起源とされているのは、

1948年7月28日、ロンドンオリンピック開会式と同日に、

イギリスのストーク・マンデビル病院で行われた

ストーク・マンデビル競技大会

とされています。

これは、戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして

手術よりスポーツを

の理念で始められたものです。

ドイツから亡命したユダヤ系医師

ルートヴィヒ・グットマンの提唱により、

この日、車椅子使用入院患者男子14人、女子2人による

アーチェリー競技会が行われました。

その後1952年には国際大会となり、

第1回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催されました。

1960年には、グットマンを会長とした

国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、

この年のオリンピックが開催されたローマで、

第9回国際ストーク・マンデビル競技大会が開催されました。

この大会は現在、第1回パラリンピックと呼ばれています。

ちなみに第2回は1964年の東京大会になります。

東京大会は2部構成で、

第1部が第13回国際ストーク・マンデビル競技大会、

第2部は全ての身体障害を対象にした

日本人選手だけの国内大会として行われました。

現在、国際的には第1部のみが

パラリンピック東京大会とされていますが、

日本国内では第2部の国内大会を合わせて

呼ばれることがあります。

その後しばらくはオリンピックと同一都市での開催から

離れていましたが、1972年のハイデルベルク大会で

再び同一都市開催となります。

1976年には第1回冬季大会、エーンシェルドスピーク大会も

開催されました。

1988年のソウル大会より

パラリンピック

正式名称として

採用されました。



パラリンピックという名称の語源は、

パラプレジア(Paraplegia、脊椎損傷等による下半身マヒ者)』

  +

オリンピック(Olympic)』

の造語と言われています。

1953年のイギリスの新聞に

"Paralympic"の表記があったそうです。

しかし「パラ」+「リンピック」=「パラリンピック」

という語呂合わせは日本人の発案で、

1964年の第13回国際ストーク・マンデビル車いす競技大会を

東京で開催した際の「愛称」として

初めて使用したものであるとされています。

パラリンピックシンボルは、

人間の最も大切な3つの構成要素

心(スピリット)・肉体(ボディ)・魂(マインド)

の三色で表しています。



各競技種目は、同一レベルの選手同士で

競い合えるようにするため、障害の種類、部位、程度による

クラス分けが行われています。

たとえばスキーのアルペンスキーとノルディックスキーは

障害の部位・程度によるクラス分けを採用、

クラスの数だけ金メダルが与えられましたが、

トリノパラリンピック以降、立位(立って滑る)、座位(座って滑る)、

視覚障害の3カテゴリー制となり、

金メダルもカテゴリーごとに与えられ、

金メダルの価値を上げ、競技性を高めたかたちになりました。

このように障害の度合いに応じて階級を分けると、

障害のクラス分けがあるために、

100メートル競走の金メダルは男女合わせて

10個以上にもなります。

このため、メダルの価値が1個のみと比べて

低くなってしまうという見方があるのも事実です。

そこでメダルを少なくするために、

近い障害部位の間で階級を統廃合するという動きがあります。

しかし、階級を統廃合すると障害部位で有利不利が

出来てしまう場合ができてしまいます。

たとえば水泳においては、

両足麻痺者と両足切断者が競ったら、

両足切断者は両足が無い分だけ水の抵抗が軽減されたり

体重が軽くなって有利になってしまうなどです。


主催者としては「競技の公平」と「メダルの価値」、

という難しい選択を突き付けられているとも言えます。



平昌での実施競技は

アルペンスキー

クロスカントリースキー

スノーボード

バイアスロン

アイスホッケー

車いすカーリング

6競技になります。


日本人選手も多く活躍していて、

メダル獲得者も出ています。


3月16日(金)終了時のメダリスト

☆村岡桃佳 選手

 アルペンスキー(女子滑降/座位)           銀メダル
 アルペンスキー(女子スーパー大回転/座位)      銅メダル
   アルペンスキー(女子大回転/座位)             金メダル
 アルペンスキー(女子アルペン複合/座位)      銅メダル

☆森井大輝 選手

 アルペンスキー(男子滑降/座位)            銀メダル

☆成田緑夢 選手

 スノーボード(男子スノーボードクロス/下肢障害)     銅メダル
 スノーボード(男子バンクドスラローム/下肢障害)    金メダル

☆新田佳浩 選手

 クロスカントリースキー(男子1.5kmスプリント・クラシカル/立位) 銀メダル


あと2日!

まだまだ選手の皆さんの活躍を期待しています。