昨日、月1度行かせていただいてる阿蘇の病院のホスピスに
アロマのマッサージのボランティアに行って来ましたが
その地区も、大きな水害で、病院も1階部分は「水」に浸かったため
職員の方、総出での「かたずけ」があっていました。
水が阿蘇の泥をあらゆる所に運び、侵出し
火山灰を含んだ泥の固まりは本当にずっしりと重く
作業は本当に大変。
東北に行くことは出来なかったけど
時間を作って、出来ることをしたいって思います。
最近・・・やはりもっぱら相変わらず意識して「自分の内側に向き合う作業」の連続です!
仕事の延長というより
永遠のテーマです。
「被害者意識」 「ルサンチマン」
家庭内の問題から世界の戦争・環境の問題にいたるまで
その根源は
「被害者意識」を克服する方向で乗り越えるのではなく
その「被害者意識」を逆恨み、膨張させ、屈折した形で解放した結果である、と思います!
その「被害者意識」が新たな「加害者」へと変貌する。
不安、増悪、対立、テロ、虐待、戦争・・・・・。
「ルサンチマン」とは
〔哲〕 ニーチェの用語。被支配者あるいは弱者が、支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいること。
この心理のうえに成り立つのが愛とか同情といった奴隷道徳であるという。
怨恨。=うらみ。
【奴隷道徳】
〔(ドイツ) Sklavenmoral〕ニーチェの用語。強者・支配者に対する怨恨(ルサンチマン)から成立する弱者の道徳。
キリスト教道徳がその典型であり、偉大な者への怖れと不信、弱者への同情、狡猾な卑下と反抗などを特徴とするという。
大辞林より
この言葉に”ハッ”とさせられました。
「弱者の善」
「弱いものが正しい」・・・・・・・・・!?!?!?
私の心の根底にこの「意識」がはっきりと潜んでいました。
と、いうことは
差別はいけないとか、人に「上下」はないとか、言いながら
「弱いもの」に対して肩入れしていなかったか??
それも立派な差別でした。
人生に「強弱」はないと主張しているのに
「弱」に対して(というか、私の位置付けはこちらに偏っていた)曖昧でいた自分。
それも明らかなジャッジであり
「ゼロ」ではないのです!
その、ある意味「甘え」・・・・・。
言い訳ばかり・努力しない・ひたむきになれない・自分の弱さに向き合わない・・心の姿勢!
「被害者」のままでいて
「弱さ」を盾にして、誤魔化し続ける・・・・。
世の中や大衆に「不満・不平」を持ち続けたこの「心根」こそが
本物の”「自己解放””自己信頼””究極の境地”への道を更に遠いものにしていたのです。
これも明らかに幼いときから植え付けられ、選択し続けた「心のクセ」でもあります!
”この部分”の理解と解放は
更に本来のパワフルな自分との出会いに繋がります!!!!
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