全体がある。
手放せないと思っていた苦しみが溶けていく。
刷り込んでいた「自分像」がはがれていく。
「個」というメッキがはがれたら、愛だけがある。
・・・
「ダイレクト」に葛藤の中へと入っていく。
”そこ”に本当に私が思っているような苦しみがあったのか?
浮上してきた思い出を、静けさ・正気さ(聖霊)の中で見てみる。
まだ、ちゃんと見てなかった部分を具体的に見るために書いて整理。
まだ未だに傷のような思い出として記憶になるものを改めて見てみる。
小学校高学年のときの担任の先生と、中学のときの体育の先生に、その日の先生の気分なのか、褒められたと思ったら、次の瞬間は怒鳴られたり、今思えばセクハラのような出来事があったことを覚えている。
まだ納得できていない、笑うことなどできない出来事だった・・・。
2人の先生は両方「体育」専門だった。
「身体能力」のあるなしでも裁かれていた。
クラスのみんなの面前だったので、本当に恥ずかしかった。
その時代は、「先生」は絶対的な存在だった。
わたしは、よっぽどダメな人間なんだと卑下して生きてきた。
自分のダメさ加減を、これらのような経験を繰り返すことで強化してきて、ダメな「自分」という概念を信じ込んでいた。
特に、「身体」の弱さ、脆さ、不完全さを嘆くことで、強化してきた。
今になって、ようやく、それらが「分離」の信念とストーリーだと気づかされてきた。
それでも、その先生たちへの遺恨は、なかなかしぶとくて、消えなかった。
でも、もう見ようと思った。
本当は何が起きたかを。
「闇」と思い込んでいるところへ、ダイレクトに。
「大切にしてほしい」
「大切にされる価値があるのに」
「脆さが怖い」
「ゆるしてほしい」
「本当は弱いということをバレたくない」
「強くなりたい」
「ゆるしてほしい」
「私を特別な存在と認めてほしい」
「私は特別なんだから」
「私という存在を消さないでほしい」
「ゆるしてほしい」
「私を救ってほしい」
「ゆるしてほしい」
「私を蔑ろにしないでほしい」
「このまま見逃してほしい」
「ゆるしてほしい」
私も先生たちも、同じ泣き叫びだった。
愛が欲しいと泣いていた。
「そうか、そうか・・・」
ただ、感じることを感じた。
「苦しみ」「闇」は2つの演出をする。
一つは自分を卑小化(否定)すること。
もう一つは自分を尊大化(肯定)すること。
どちらも「分離」を温存するために必要なもの。
罪深さ、を手放さないということ。
「特別」を手放さない。
「思考」を手放さない。
・・・
"泣き叫びの中"にすっぽりと入っていく。
何も怖いことはなかった。
全部、夢見のうわ言に過ぎなかった。
最初はゆるしたくなかったが、しょうもないし、私も同じ思考だったのだ。
自我の弱々しさ、ズルさ、可愛らしさ、だけだった。
私も先生たちも同じ。
というか、私の夢だ。
「分離」という呪縛よさようなら。
本当の私たちは「全体」そのもの。
誰一人、「全体」の外にはいない。
すべてがそのまま「光」だった。
・・・
ワークブック
レッスン333
ここでは、赦しが葛藤の夢を終わらせる。
・・・・・
葛藤は解決されなければならない。
葛藤から脱出したければ、それをうやむやにしたり、脇に置いたり、否認したりすることはできない。
偽装をほどこしたり、それをどこか他の場所に見たり、他の名前で読んだり、何らかの欺瞞によって隠しておくわけにもいかない。
葛藤はあるがままに、それが存在すると思われる場所に、それらに与えられている実在性の中で、その心がそれに与えた目的をもったものとして、見られなければならない。
その時にのみ、葛藤を防衛していたものが取り外され、真理が葛藤を照らすことが可能になり、葛藤は消滅する。
父よ、赦しは、すべての葛藤や疑いを照らし去るためにあなたが選択してくださった光であり、あなたのもとに私たちが戻る道を照らす光です。
これ以外に、私たちの邪悪な夢を終わらせる光はありません。
これ以外に、世界を救える光はありません。
これはあなたから愛し子への贈り物であり、これのみが、何においても決して失敗しないものだからです。
(全文)
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わかち合えたら嬉しいです。
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090-1191-5554
茂藤かおり
Humming
