「肚を生きる」
これだけ。
このことにオープンでいるだけ。
長いことためらっていた。
ずっと「肚を生きる」とただ言い切ること、それを言葉にしてしまうことが恐くて仕方がなかった。
「感覚だけではだめ」
「ちゃんと人に説明できなければ」
「物理的な根拠がなければ」
「人の役に立たなければ」
自分の本質、その源・実相とのつながり(一致)を、理論で説明しなきゃ、するべきだ、という方向に行きすぎていた。
心理学、さまざまなワーク、量子力学・・最終的に「奇跡講座」の言葉を通して、「源とのつながり」・「肚を生きる」を、わかってもらえる形にしようとしてきた。
・・・
幼いころから感じてきたもの。
自分や人の苦しみ、恐れ、怒り、落胆・・それはただ、本来の自分(源)からズレているからなのだ、と感じていた。
言葉になる前の、"肚"の確かな感覚。
ふわっと、「こうなら一致するのに」というのも、感じた。
それなのに、これを「理論で説明しなきゃ」となった始まりは両親からの拒絶。
感じている見えない世界の話をすると、「わけがわからない話をするもんじゃない」とよく諭された。
また、私自身、それをいつまでも気にしていて、人を戸惑わせるかもしれないことが怖くなっていった。
こうしてストーリーから離れないでいた。
これが愛への拒絶!!(ラスボスのラスボス)
そんなことを積み重ねながら、"肚"の感覚を人とわかち合おうとして、そこから、「拒絶されたら」とか「伝わらなかったら」という防衛心が働く。
そして、「理論的」であろうとして「肚」そのものを微妙に歪曲させた。
歪曲には不自然な力みがはいるので、疲弊する。
だけど、無意識のうちに微妙に勝手に歪曲させていた。
そして、ようやく、少しずつ・・・薄皮のような歪曲でも、それに気づいたら、止める。
もう歪曲はしたくないというか無理だ。
肚そのものを、そのままゆるすことが、私にとっての究極のゆるしだった。
「肚」は、心理学や量子力学の理論や、ゲシュタルトワークやバイロンケイティさんのワーク、「奇跡講座」での形而上学でも再確信できるもの。
全部、「肚」=源とのつながりを、言葉にしてくれている。
だけど、なんというか、理論にすると若干ズレる。
息切れしていることを自覚した。
もう、自然じゃない歩き方で歩けない。
「わかりやすく説明」や「役に立つように」や「ちゃんと伝わるように」を気にすることはもうできない。
感じたまんま、そのまんま。
肚をそのまんま表わす。
そして、その後に、必要なときだけ理論を使うという風に、順番を逆にすればいいんだと。
「ただ、まずは肚、源からのズレを、その気づきを、そのままシンプルに認め、伝える」
・・・
「すべて肚の望むままに~」
これをゆるしたとたん、身体に風がスーッと通り、全身が歓喜した。
・・・
言葉で会話しなくても、私たちはいつも非言語で会話している。
「言葉にして証明しなくても、すでに知っている」
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また、誤解したくないのは、肚に従ったから、人生、この物理社会でうまくいく・・という話ではない。
逆に、この混乱の物理社会を通して、「肚を思い出す」「肚に還る」だけ。
何かが起こったように見えても、すべてはこの源に戻る機会。
そもそも無尽蔵である源の拡張、その恵みと恩寵にゆだね、受け取り与えていく。
「肚を生きる」
なんだか、ほくほくと喜びがみなぎり広がる。
止まらないものに逆らわず、全てと出会っていきたい。
【ご案内】
★ワーク会(京都)
本来のフィーリング・肚に戻る!
そんな機会をみんなで作れたらいいなぁと。
どうぞよろしくお願いします。
日程 10月9日(金)・10日(土) 10:00~17:00
場所
参加費 1日 6,000円 ・ 2日間 10,000円
※ 今回の京都もゆきえさんが窓口でいてくださいます→ yukie
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YouTubeをUPしました。
よろしくお願いします★
HPです。