注意欠陥障害 | 真実は人を幸福にするか?

真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ

 ◇道元の思想で克服する◇


お子さんが注意欠格障害の場合はもちろん、大人になり、注意欠格障害でお悩みになっている大人の方も多いだろうと思います。
その注意欠格障害を克服するのに最適な仏教思想が日本にありました。
それが道元禅師の思想です。
今回は、道元禅師の思想とは何か?
そして、道元禅師の思想を生かし、注意欠格障害を克服して行く方法について、お話したいと思います。
ちなみに、私は曹洞宗とは無関係の者であり、曹洞宗の宣伝を目的とする動画ではありません。


1.注意欠格障害とは、ADDと言われ、生まれつき、脳の前頭前野の働きが弱く、その為、あらゆる局面において不注意になってしまう障害です。これに「多動障害」がともなえば、ADHDと呼ばれます。現在は、ADDはADHDの一種とされております。ただ、こうした精神疾患に関する病名はコロコロ変化するので、あまり、名称にとらわれるべきでは無いと考えます。この動画ではADDと呼びます。

2.注意力散漫。片付けが出来ない。物を無くす。遅刻する。じっと待ってられない。カッとなりやすい。つまり、
生活する上で、最も基本的な事が出来ていないのがADDです。

3.禅宗には大きく分けて、二つの宗派があります。臨済宗と曹洞宗です。これはいずれも中国から日本に輸入したものです。日本の臨済宗の開祖は栄西(ようさい)。日本の曹洞宗の開祖は道元(どうげん)。いずれも鎌倉時代です。

4.臨済宗は、不立文字(ふりゅうもんじ)と言い、真理は文章で表現出来るものではない。ただ、心の中に悟るものであると考えます。その悟りを得る為に座禅を行いますが、思索を助けるために問答も行います。師匠が公案と言われる質問をし、弟子はその答えを探そうとします。文献からではなく、あくまでも
自分の言葉で答える必要があります。北鎌倉の円覚寺や、建長寺が有名です。初春の円覚寺は見頃なので、観光としてオススメです。

5.栄西も道元も、もともと天台宗比叡山延暦寺の出身です。その頃の比叡山には、
「人はもともと悟っている」という思想がありました。そこで道元は疑問に思いました。「人がもともと悟っているなら修行する必要など無いはずだ」と。そこで、色々な先輩に質問したのですが、答えが得られませんでした。

6.そこで、道元は中国に留学しました。中国の曹洞宗のお寺で、修行しました。そこで、道元は悟りを「得て」、帰国し、永平寺というお寺を立てました。何を道元は悟ったのでしょう?本人は
「眼横鼻直」(がんおうびちょく)と言いますが、これでは良くわかりません。道元は、「正法眼蔵」という大書を残しておりますので、それを精読すれば、何か見えて来ると思いますが、これは坊さんでも、やっかいです。抽象的な話が多くて、何を言ってるか、わからないのです。ですから、ADDで悩まれている視聴者の方に、正法眼蔵を読めと言うわけではありません。私なりの正法眼蔵の解釈と、曹洞宗の修行のあり方から学び取れた事を、お伝えしたいと思います。あくまでもADDの克服を目的とするものであり、曹洞宗を伝えたいわけではありません。曹洞宗を学びたい方は、曹洞宗の寺院へGO!

7.曹洞宗の本山、永平寺ですが、坐禅(曹洞宗の場合は、この字を使います)も行いますが、坐禅だけに重きを置くわけではありません。
日常生活全般が「禅」であると言います。「禅」とは何でしょうか?簡単に言いますと、心を落ち着かせる事が禅です。そして、禅と悟りは一体である、というのが道元の出した答えです。

8.これから言う事を、あまり難しく考えないで下さい。言葉で考えると、細かい点が気になって本質が見えません。本質を感じ取って下さい。さて、
そもそも「悟り」とは何か?と申しますと、これは「解脱」(げだつ)する為の方法を「知る」事です。これが「悟り」の本来の意味である事をまず、知って下さい。「悟り」は本来の目的ではありません。例えば、「勉強方法」がわかった所で、大学には合格出来ません。同様に「悟った」だけではダメで、その悟った内容を、修行しなければ、解脱というゴールには到達しません。

9.解脱とは、輪廻転生から抜け出す事です。古代インド人は、生きる事は虚しいと考えたのです。そして、何度も、生まれ変わる「輪廻」から抜け出す事を理想としました。仏教も、この考え方が基本にあります。

10.
「解脱」の本来の意味は、輪廻転生から抜け出す事です。ですが、その方法を明確に悟る事もまた「解脱」と表現します。例えば、「まだ勉強してないけど、最高の参考書発見したぜ!これでもう、合格したのと同じ事さ」と言う感じです。実際に解脱するのは死後ですが、解脱する為の方法論を悟れば、それも、解脱と言っちゃっていいんじゃない?という事で、仏教では、まだ死んでないけど、悟った人の事を「解脱した」と言っちゃいます。

11.道元さんは「人間が本来悟っているなら、なぜ修行が必要なのか?」と悩んだわけですが、悟った後に、その内容に基づいて修行するわけです。最高の参考書を入手したら、そこから勉強が始まるのです。また、人間は本来悟っている、というのは、人間はもともと、輪廻転生から抜け出すには、どうしたら良いか、魂の奥底では、分かっているけど、多くの人間は、それを忘れてしまっているのです。例えば、人は皆、どうやったら、ダイエット出来るかわかっています。バランスの良い食事と、適度な運動です。でも、めんどくさくて嫌ですよね?嫌だから、脳内で「バランスの良い食事」「適度な運動」という言葉を消し去ります。結果、太ります。そして、本屋さんで、ダイエット方法の本を買い求めます。ですが、そんな本、要らないですよね。だって、結局、「バランスの良い食事」「適度な運動」しか無いんだから。「人間は本来悟っている」というのは、こういう意味なんです。でも、そこに気づこうをしないだけなんです。だって、修行ってメンドクサイじゃないですか?たぶん。輪廻から解脱するわけでしょ?その為には、善い行いをして、悪い行いをしなければいいんでしょ?ぶっちゃけ。それが本質でしょ?皆、わかってんですよ。視聴者さんも。でも、メンドクサイじゃないですか。悪い事、したいし、善い行いなんて、メンドクサイですよ。だから、考えないようにしてるし、もっと言えば、「輪廻なんて無い。死んだら無になる。」と思い込めば、気がラクになるでしょ?そうすれば、戒律をたもって修行して、なんて必要は無くなる。自由に生きたいと思うなら、「死後は無」と考えちゃうのが自然なんです。

12.道元さんは、中国に行って、それを気づいたんです。眼横鼻直。
あたりまえの事を、あたりまえのように。つまり、ダイエットしたけりゃ、バランスの良い食事と適度な運動。解脱したいなら、善い行いをして、悪い行いをするな、と。要するに、ちゃんと生活しなさいと。

道元禅師様は、坐禅(座禅)に努める者は戒律を守る必要があるのかという疑問に対して、「戒律をもって清浄な行いをするのは禅門の基本であり、仏陀や祖師以来の伝統である」と断言しておられる。(傑伝寺HPより)

13.仏教では、生活、そのものが修行なんです。釈尊の時代からです。例えば、苦しい事が起きた。ですが、これは怪我をしたら膿が出て来るのと同じです。輪廻転生で言えば、過去世に悪い事をしたから、その報いで、今、苦しみを受けているんです。報いを受ける事で、悪い事が水に流される、とも言える。だから、苦しい事が起きたら、苦しむ。これが仏教の思想です。

14.道元は、生活を重視したんです。とにかく丁寧に生活します。その中で、病気やら何やらで苦しみが生じます。その苦しみを受けて行くのです。一生懸命に生活して、苦しい事が起ったら、一生懸命に苦しむ。それが輪廻からの解脱するための方法論です。ですから、特別に何かする必要はない。まあ、坐禅はしますが、基本的には、生活する。これが修行です。

15.坐禅とは、心を落ち着かせる事です。心が乱れていれば、生活も乱れます。だから、坐禅をして、心を落ち着かせるんです。もっと宗教的に言えば、
坐禅している時、仏とつながっているんです。この辺はADDとは関係無いので、詳しくは説明しません。ただ、神仏とつながる、というのはとても大切です。私達が神社に参拝する時、神様は何も言ってくれないと感じますが、実は、たくさん語りかけてくれているんです。そして、私達の魂の奥で、その言葉を受け止めているんです。それを「意識」出来ないだけです。ですが、海底に沈んだものが浮かんで来るように、神様からのメッセージは、私達に「ひらめき」という形で浮かび上がるんです。坐禅もまた、同じで、あれは仏様と会話しているんです。この辺は、ふつうの人には、ひたすらインチキ臭いんで、「坐禅=心を落ち着かせる」という理解で、今は、良いと思います。

16.曹洞宗には
「威儀即仏法」という言葉があります。日常生活のふるまいが、そのまま仏法であると。要するに、仏教の修行なんだぞと。ですから、顔の洗い方から、食事の仕方まで、曹洞宗では細かい作法があります。永平寺では、修行僧を雲水と呼びますが、雲水さんが、先輩から、叩き込まれます。出来るようになるまで、何度も、何度もやらされます。そして、出来るようになるんです。

17.ADDは脳の障害ですから、雲水修行のようには行かないと思うかも知れませんが、やはり
訓練するしかないのです。それを避けたら、まともに生きて行けないのですから。師匠は親です。自分がすでに大人なら、師匠は自分自身です。

18.「しつけ」と称した虐待があります。これは問題です。「しつけ」は、怒鳴る必要も無いし、叩く必要も無いのです。
「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」(海軍元帥 山本五十六)です。まず、親が見本を見せ、子供にやらせて、上手に出来たら、ほめてあげましょう。永平寺の中の人も、そうして下さい。雲水が逃亡するような教え方をしないように。

19.神道には教義は無いのですが、非常に曹洞宗に近い宗教だと思います。先の威儀即仏法。これを
「威儀即神道」と言い換えられると思います。日常での振る舞いが、そのまま修行であると。愛知県に豊川稲荷があります。これは曹洞宗の寺院ですが、神道の稲荷神を祀っている。何の矛盾も無いのです。曹洞宗も神道も、もともと似たような宗教なんです。曹洞宗が「威儀即仏法」ならば、神道は「威儀即神道」。日常の振る舞い事こそが、究極の幸せに導くんです。快楽ではなく、平穏がそこにあります。

20.これは、余談ですが、私は曹洞宗は仏教として完成度が高いと思います。永平寺よりも、密教を取り入れた総持寺のほうが、私としてはシンパシーを感じます。テーマから外れ過ぎるので、詳細は述べません。ともかく、注意力は訓練で養成するしかないと思います。投薬治療の効果を否定するものではありませんが、訓練以上に、効果のあるものは無いと思います。曹洞宗では写経をよくやります。写経は、集中力が高まっていないと出来ません。ですから、写経は集中力を高める訓練です。写経をやれ、という話ではなく、何事も、写経するような気持ちでやれば、集中力は増して行きます。

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