ニューヨーク旅行が終わってただいま空の上、成田に向かっているところ。(で書きました)

滞在中は晴れの日が多く、傘をさしたのは1日だけですんだ。寒いかと思っていた気候はむしろ暖かく、暑くてめまいのする日すらあった。ニューヨークは日々や1日の中での気温差がとても大きく、体温調節が難しかった。

物価はすこぶる高くて毎日湯水のようにドル札が流れていった。食事は簡単なものでも一人10ドルはした。広告に出されているアパートの賃料も目が飛び出るような高値だった。服は安いものがあったが、食住がこんなに高いということは、ここで暮らす人の収入はよっぽどいいのだろうか?

路上には物乞いがたくさんいた。彼らは札を掲げて寄付を乞うているのだが、どうして外国の乞食はこんなに高慢なのだろうか?日本の乞食が下手に出すぎているだけなのだろうか?どうしてもその文化が馴染めず彼らに反感を抱いてしまう。

ホテルはビジネスホテルのような普通のものだったが、それでもひと部屋3万円した。11泊したから大した金額になった。エアコンはコントロールが効かなくてついたり消えたりした。テレビは音が出なかった。幸いシャワーに不調はなくお湯も出て快適だった。

ホテルでは夜、テレビを見ていた。音が出ないがNHKワールドも映らないし、どうせ英語は聞き取れないので画面を見るだけで満足していた。
色々なチャンネルが視聴できたが、リフォームのチャンネルを見つけてからは毎日長い時間それを見た
そのチャンネルでは番組がいくつもあるが、すべてリフォームを扱ったものだった。家づくりをしている私たちにはとても興味深い内容だった。
とりわけ楽しかったのは「FIXER UPPER」という番組だった。依頼者とリフォーム業者が一緒に中古住宅を見て周って、そのいくつかの物件から選んだものをリフォームする。
中古物件は大体200,000ドル前後。30〜50年くらい経っているのに随分と値が残る。日本ではあっという間に住宅の価値は無くなってしまうが、欧米では資産として価値が長く残る、という話を聞いた事があるがそれを確認できた気がした。それを裏付けるようにリフォームを「investment(投資)」と呼んでいるのを妙に納得する思いがした。
候補の物件について、床面積などは一切載らず部屋数とバスルームの数が重要視されていた。バスルームはどの物件も大体三つあった。
バスルームなんて一つで十分だし多いとむしろ掃除が大変と思ったのだが、アメリカ人はそうは考えていないらしく、調べてみると一人ひとつ、お客さん用にも一つバスルームを持ちたがるものだとわかった。それはプライバシー確保のためであり、お客さんをもてなすためでもあるようだった。

ブロンクスやブルックリンなどマンハッタンから離れてみるとアパートや一軒家が目立つようになってくるが、いずれも狭い住宅だったのが気になった。アメリカでもニューヨークは日本の様な狭い住環境で高い家賃に苦しんでいるのかもしれずアメリカに対して抱いていた夢(?)が崩れてきた。アメリカ人は広い土地に広い家と庭を持って悠々と暮らしているものだと思っていたのだ。

マンハッタンは南から北に行くに従ってガラが悪くなり金持ちが減っていくように感じた。その傾向は川の向こうまで適用されるようで、ブロンクスは貧しく、ブルックリンはハイソな感じがした。大阪でも貧富と治安の南北差が大きかったがそういうものをこのニューヨークでも感じた。

そういうことは話としては以前から聞いたことがあったので、初めてのハーレムに行く時は治安に関して不安があった。そのときは夜だったので、なおさら不安が増長していた。
実際として夜歩いても危ないことは無かったのだが、夜も更けたのに夜の街角に若者達がたむろして、その数が多い。これは日本でいえばいわば「ワルガキども」であろう。

ハーレムのアポロシアターでは「アマチュアナイト」という毎週水曜恒例のイベントを見た。日本人が舞台に出場していたが私はそこではじめてブーイングというのを見た。彼の歌は全く酷評されていた。確かにそんなに上手くなく、明らかに周りの参加者よりも劣っていた。

七日目の朝、日本から電話がかかってきた。こちらがアメリカにいて13時間の時差があることを知らず、日本の金曜夜に電話を掛けていた。
電話の主は会社の後輩の加藤で、休職することを連絡くれたのだった。
私は生産管理で彼は総務だが、以前は同じ職場だったことと同じ大学出身ということで仲が良かった。
彼は総務の上司との折り合いが悪く心にダメージを負ってしまい、これから二ヶ月間の休職をするとの事だった。
古い仲間の思いがけない告白にとても驚いた。なんとか励ましたいと思った。日本に帰ったら職場の先輩に相談して共に彼に会いに誘おう。

旅行中の連絡といえば、同じ職場の女性の後輩から入籍の報告があった。彼女はつい最近まで結婚どうしようこの人でいいのかな、とか悩んでいたのに突然入籍とは驚いた。一体何があったんだ!?と奥さんに話したら「それはおめでた婚しか考えられないね」と。・・・たしかに。ともあれおめでたい事だった。(事実は単に事が早く運んだだけだった)

旅の間中、家のことばかり考えていた気がする。ニューヨークを楽しみながら隙あらば家のことをスマホで調べたりしている自分がいた。
パナホームとは何度もメールのやり取りをした。色々なことを相談しているが、窓の仕様がペアガラス複合サッシから、トリプルガラス樹脂サッシに変更が可能だとわかった時は、本当に良かったと思った。「窓のスペックは変えられない」というパナホームの回答にめげず何度も確認してもらって良かった。社内的にも周知される前の最新情報をキャッチしたと、この窓の新仕様を営業は請け負った。パナホームの住宅に抱いていた不安は、これでようやく無くなった。ハッピーハッピーです。

この旅の前半は時差ボケに悩まされた。生まれて初めての時差ボケはとにかく昼間ねむたかった。そして夜に寝れずに結構つらかった。それが一週間くらいと長い期間続いた。これが日本に着いたらまだ時差ボケに悩まされるのかな、と不安!→帰りの時差ボケはOKでした。