美奈宣神社(みなぎじんじゃ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第12代景行天皇の後を受け、第14代仲哀天皇と神功皇后は、

熊襲征伐を進めるが、仲哀天皇は急病のため崩御。

 

神功皇后はこれを秘し、新羅を討つべく出師の計画を立て、

兵員を集め、兵船・軍器を整え、神々を祀って出征。

いわゆる三韓征伐である。

 

この時、皇后は航海中の船中で

素戔嗚尊、大己貴命、事代主命の三神に戦勝を祈願したと伝わる。

戦勝後、凱旋した神功皇后が三神を祀ったのが美奈宜神社の創祀だという。

 

 

手水舎

 

 

なで牛

 

 

 

 

摂政2年、神功皇后が九州滞在時に、

古処の山に住む羽白熊鷲という悪者退治を村人が懇願した。

 

皇后は

「この潮干玉を使って川の水をからにし、川蜷に頼んで、一晩で城を作り、

潮満玉を使って、一度に水を入れ水攻めにして滅ぼしなさい」

との神託を得、村の平穏を取り戻したという。

 

これに感謝した神功皇后は、

神を祀る社を建てようと思い、一羽の白鷺を放った。

 

白鷺は空に舞い上がり、筑後川に沿ってしばらく飛んだ後、

こんこんと清水の湧きでる所に舞い下りた。

 

そこが蜷城(になぎ)の地で、後世に美奈宜(みなぎ)とあて、

現社号となったという。

 

また川蜷が守ってくれた村里をニナシロと呼び、

なまって、ヒナシロという地名になったとも。

 

この白鷺塚は今も片延字白鷺1番地に残されている。

 

 

 

『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 筑前国 下座郡
「美奈宜神社三座」に比定される
式内社(名神大社)の論社。
近代社格では県社。

 

神 門

 

 

名神大社

奈良朝時代、天下に事ある時、

国内の著名な神社に勅使が参向して祈願する神社(名神大社)が

当時全国で204社(祭神数285座)ありました。

 

続日本紀によると、

天平2年(730年)9月渤海の王が奈良の朝廷に進物を献上したので、

翌月10月に名神祭が行われその進物の一部を各神社に献納された。

 

九州本土では以下の12の神社が進物の献納を受け

名神祭に預かっています。

 

筑前国(7社)

宗像神社、住吉神社、八幡神社、志賀海神社、

美奈宜神社、筑紫神社、竃戸神社 

 

筑後国(2社):髙良玉垂命神社 豊比賣神社 

 

肥前国(1社):田島坐神社 

 

肥後国(1社):健盤龍命神社(阿蘇神社) 

 

豊前国(1社):八幡比賣神社(宇佐神宮)

 

この12神社だけが名神祭が行われる度に

勅使や国司が勅命を奉じて参向した神社で、

豊後国・日向国・薩摩国4カ国には

名神祭に名を連ねた神社は1社もありません。

 

前記のように美奈宜神社は

奈良時代・平安時代に名神祭の栄誉を受けた神社です。

 

三代実録によると清和天皇貞観元年(859年)正月27日、

筑前国従五位の下 美奈宜神社 従五位上の授位が行われ、

延長5年(927年)に延喜式では美奈宜神社は

式内大社に列せられ明神帳に記載されています。

 

 

 

 

 

 

御祭神

素戔嗚命、大己貴命、事代主命

 

 

 

 

御利益

縁結び、商売繁盛、厄除、五穀豊穣、無病息災など

 

 

 

本 殿

 

 

 

 

 

淡島神社

 

 

御神木

 

 

十九神(筑前国式内社十社)

 

 

 

 

 

 

 

 

宗像大社、織幡神社、筥崎宮、住吉神社、志賀海神社
志登神社、筑紫神社、竈門神社、麻氐良布神社、大己貴神社

 

白峯神社(しらみねじんじゃ)

 


 

 

御祭神:崇徳上皇
悪縁・悪習切りの御神徳

 

 

 

 

鎮座地

福岡県朝倉市林田210