一関八坂神社
参道右側にある境内社 明神社(御祭神:罔象女神)
社記によると
安康天皇の御代(453~456年)に
杵築大社(現:出雲大社)を勧請したともあり、
また里の伝えでは宣化天皇の御代(536~539年)
須佐之男命が北山の地に顕現され、
須佐之男命・櫛名田比賣命の二柱を勧請して
「北山神社」と称していたそうですが、
朱鳥2年(687年)の大洪水で流され、
その後現在地に遷座したといいます。
その後、天歴5年(951年)に勅命により 「祇園社」と称するようになり、
明治初期に「八坂神社」と改称されたようです。
また『阿蘇郡誌』によると、祇園社と称する以前、
大同2年(807年)に阿蘇家と国司が協力をして
北山から現在地へ社殿を遷したとも伝えられます。
旧社格:郷社
手水舎
拝 殿
御祭神
須佐之男命、稲田比咩命、大名武智命
ご利益
厄除け、疫病退散、縁結び、
病気平癒、 家内安全、商売繁昌、開運成就など
拝殿右側に
『古代火の国の「炎のピラミッド」古社郡配置図』
の看板がありました。
阿蘇神社を始め、阿蘇地域の中心神社の場所が、
阿蘇五岳をあわせ、幾何学的に計算され、
配置されているという論文が発表されました。
この研究を発表されたのが
八坂神社宮司 田尻盛永さんです。
自然の阿蘇五岳と人為の神社群。
それらの位置関係を調べると、
『黄金比の拡大数列であるフィボナッチ数列と
呼ばれるものによって正確に配置されている』
というものです。
本 殿
本殿裏
猿田彦太神
鎮座地
熊本県阿蘇郡南阿蘇村一関671