千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)

 

 

 

 

千栗八幡宮は、神亀元年(724年)肥前国養父郡の

郡司 壬生春成により創祀されたと伝えられています。

 

 

 

延喜式内社ではないが、承平年間(931年〜938年)に

宇佐八幡宮の別宮になり、以来、九州五所別宮

(大分八幡・千栗八幡・藤崎八幡・新田八幡・鹿児島神宮)の一つであり、

武の神として昔から崇められてきました。

 

宮地嶽神社

 

 

 

 

なぜ「千栗」と書いて「ちりく」と読むかというと、

壬生春成が千栗山に猟をしに行くと、
八幡大菩薩の使いである一羽の白い鳩が飛んできて
弓の先に止まりました。

 

その晩、白髪の翁が丸い盆に千個の栗を盛って枕元に授け、
「この地に八幡神を祀れ」という夢を見ました。

 

翌日、再び千栗山に猟に行くと、何と逆さに植わった
千個の栗から栗の木が一夜のうちに生い茂っていたことから

「くり」を逆さにして、「ちりく」というようになったとの言い伝えがあります。

 

 

 

 

 

御祭神
應神天皇 仲哀天皇 神功皇后

 

合祀 
難波皇子 宇治皇子 住吉明神 武内宿禰

 

合祀されている難波皇子は、一般には敏達天皇の子、
宇治皇子は応神天皇の子(菟道稚郎子)とされているが、

八幡宮で、宇治皇子と共に祀られている難波皇子は、

仁徳天皇のことだと思われます。

 

 

 

お粥堂

千栗八幡宮は、日本三大粥祭りの1つである、
「お粥だめし」で有名です。

 

一升七合の米を一斗の水で2月26日に炊きあげ、
春祭りのある3月15日に公開、カビの生え具合によって占うものです。

 

 

 

このお粥堂は、粥占いの結果をここに置き、披露する場所です。

 

2005年の福岡県西方沖地震・2016年の熊本地震
言い当てたと話題になりました。

 

 

 

武雄神社

 

御祭神:武雄心命
相殿:天之忍穂耳命・菅原道真・伊弉諾尊・高木神

 

 

 

御祭神の武雄心命(たけおごころのみこと)は、
第八代孝元天皇の孫で、祭祀・占を司る任に当たり、

第十二代 景行天皇に仕えた。


武内宿禰の父とされる人物です。

 

鳩森稲荷神社

御祭神: 保食神(うけもちのかみ)

 

 

 

與止日女神社

 

ここは、中世以降、肥前国一の宮と呼ばれていましたが、

慶長7年(1602年)に後陽成天皇が與止日女神社を一宮とする

勅額を下したことから両社の間で60年にわたる紛争が起こったことは

有名です。

 

 

ここから筑後国一宮、高良大社のある高良山が望めます。

 


高良大社

 

筑後川を挟んで筑後国一宮高良大社と対峙する位置に

肥前国一宮を配置した。

 

ここは、高良山と並び要衝な場所だったのです。

 

鎮座地

佐賀県三養基郡みやき町大字白壁