【背比べ石】
神功皇后が朝鮮半島への出兵を前に、
この石と背丈を比べて吉凶を占われたとの伝説がありますが、
神功皇后が背比べしたのは、筑後の山門県(やまとのあがた)
(現在のみやま市瀬高町辺り)で勢力をもっていた
土蜘蛛の首長、田油津媛(たぶらつひめ)との戦いの時
だという言い伝えもあります。
【馬蹄石】
大石の上に高良の神が神馬の蹄(ひづめ)のあとを
残されたという伝えから、「馬の足形」とも呼びます。
しかし中世の縁起書『高良記』には、
この石こそが「神籠石」であり、
「八葉の石畳(現在の神籠石列石)」の起点、終点であると
記されている。
付近の字名も「神籠石」という。
この馬蹄石は古代の磐座の一種で、
馬の足跡のような穴は杯状穴の可能性があります。
古代の人々が、神に祈りをささげた
儀式の場だったのかもしれません。
福岡県久留米市御井町