葛城神社【佐賀県三養基郡みやき町】

 

 

 

 

奈良県御所市にある一言主神社と同じ
一言主神を御祭神とする神社です。 

 

 

古事記や日本書紀に、二十一代雄略天皇の一行が、

葛城山で天皇の一行と全く同じ姿・人数で現れた

一言主神に出会う話があります。

 

一言主神は
「吾は悪事も一言、善事も一言に言離つ神、葛城の一言主之大神なり」
と雄略天皇に答えています。

それ故、俗に「一言さん」と呼ばれ、
一言の願いであれば何事もお聞きとどける神として
古くから親しまれ信仰されています。

 

 

 

この一言主神は、事代主神と同様に託宣を司る神
つまり神の言葉を伝える神と考えられます。

『古事記』では「一言主」、『日本書紀』では「一事主」
『日本霊異記』では「一語主」とも表記されています。

『先代旧事本紀』では一言主神を
素戔烏尊の子と書かれているようです。

また、この神が味鋤高彦根神(加茂大神)
と同じ神ではないかと言われてます。

 

 

 

この社は、昔この地方に住んでいた葛城部が祀ったそうです。

その葛城部というのは日本書紀によると、
仁徳天皇七年に皇后の御名代部としておかれたようです。

古代には、この一帯を葛木郷と言っていました。

 

蜘蛛?

 

 

奈良の一言主神社には、蜘蛛塚​​​​​​​があり、

土蜘蛛の住んでいた場所であり、お墓でもあります。​​​​​​​

 

 

土蜘蛛とは、昔、天皇に​​​​​​​抵抗した勢力のことを称するようです。

 

本殿

 

古書「三代実録」の貞観十五年(873)九月十六日の項に
肥前国正六位上葛城一言主神に従五位下の神位を授けるとあり、
また、別の古書には、正応五年(1292)には
社領十一町三反を有していたことが書かれています。

かつてはかなりの社領を持つ有力神社であったが、
豊臣秀吉の太閤検地によって、すべての社領を没収され、
それ以後は矢俣八幡神社の外宮として、
矢俣八幡神社とともに、この矢俣郷の鎮守の神様として
ひっそりと鎮座しています。

 

鎮座地
佐賀県三養基郡みやき町天建寺