七夕神社【熊本県山鹿市】

 

 

神社の名前に惹かれて行ってみました。

 

 

 

 

 

第六十一代朱雀天皇の頃、世の中が大変乱れたため、
この世の平安を祈って天慶三年(940)七月に創建されたのが、
岩原八幡宮(七夕神社)です。

 

 

肥後国司の尾藤隆房が直々に建てたほどの
由緒ある神社なのです。

 

ここは、三ツ棟の幣殿で、回廊があり、東に唐門、
北に不老門、南に弥勒寺を従えた当時としては
壮大な構えの神社でした。

 

 

 

また、下宮として八幡宮、若宮神社、春日神社や
桜井大明神、住吉、葉山、妙見などは全てこの関連の社でした。

 

その後の後醍醐天皇の頃、

菊池肥後守 藤原武重、菊池肥後守 武光は神社を修復し、

七月七日には社頭の東で神輿を納め、種々のお祭りも催しました。

 

しかし、この由緒ある神社も天正九年(1581)
島津軍の肥後侵略の時に兵火に遭い、
灰塵となってしまいました。

 

そこで文禄四年(1595)、祀官の緒方大神惟仲が
小さいお堂を建てて八幡宮を再興して、七月七日と
十月七日を両祭日と定めました。

 

拝殿

 

御祭神:誉田別命(応神天皇)

 

七夕神社の名前から、もしかすると御祭神は、

ニギハヤヒかも?と思ってきたのですが、八幡宮でした。

 

 

 

拝殿の後ろに本殿に上がる階段があります。

 

 

 

本 殿

 

 

 

この神社も猿田彦大神石碑が並んでます。

 

 

岩原八幡宮がいつの間にか

「七夕神社」と呼ばれるようになったのは、

七月に社が建てられ、七月七日に神輿のお祭りがあり、
祭礼が七月七日と定められたことによるものと考えられています。

 

現在、本来下宮だった社が岩原八幡宮となっています。